わたしのバイブル2
静まりかえった夜のメリーゴーランドには誰もいません。木馬も止まったままです。
マーティンのそばに彼の父親がやって来ました。少年の足は少し不自由になるが、大丈夫だと伝えに来たのです。
「君が落としていった身分証を見て、いろんなことがわかったよ」
マーティンがニューヨークのアパートに住んでいることや、年齢、免許証の期限が25年後になっていることを告げるのでした。
「どうやら君は、時間を越えてやって来たようだ。なぜだかわからないが……」
父親には想像がつかないが、今すぐにこの町から離れるべきだ、とマーティンに訴えます。
「人には一度しかチャンスがない。君がかつてそうだったように、あの子にとっても今は一度だけの夏なんだ」
マーティンがうなずいて帰ろうとしたとき、
「嫌なところだったのか? 君がいた場所は……」
と問いかけます。
「そうだよ、父さん。仕事に追われる毎日に疲れてたんだ。ある日戻りたくなった。むかしに戻ってメリーゴーランドに乗ったり、綿菓子を食べたり、バンドの演奏を聴いたり、立ち止まって耳をすまし、匂いを嗅いでみたくなったんだ」
「みんな、そう思うもんさ」
と父親は笑ってみせ、
「だが、元の場所に戻れば、そこにもメリーゴーランドやバンドの演奏があるのじゃないかね。君は探す場所を間違っていたのかもしれない。後ろを見ていたんだな。前を見て歩くんだ」
「そうかもしれないね」
「もう一度よく考えてみることだな」
「そうだね、父さん……」
メリーゴーランドがゆっくり動き始めると、マーティンはそれに乗って前に回り始めました。
騒がしい音楽が鳴り響く店内で、マーティンがソーダ水を注文しようとしましたが、値段が35セントと知ってキャンセルしました。そして、カウンターの椅子から降りようとしたとき、
「おっと、足の悪い人間にはつらいな」
と彼。
「どうされたんです、その足?」
バーテンダーの問いに答えます。
「子供の頃にメリーゴーランから落ちたんだ……妙な話なんだけれどもね」
マーティンの言葉にバーテンダーは思い出したように
「あのメリーゴーランドなら2年前に取り壊されましたよ。遅かったですね、お客さんにとっては」
「ああ、そうだな……」
36歳のマーティン・スローは、店を後にすると、少し足を引きずってガソリンスタンドに向かうのでした。
広告業界では成功を収めた彼でしたが、少年に戻る……という望みを叶えることはできませんでした。
浜尾

制作|随筆春秋事務局

