エッセイスト 近藤 健
写真は、近藤健の故郷で北海道は様似の海と親子岩。様似は、旧JR日高本線終着駅の町だった。駅舎は2021年春、役目を終えた。近藤の父親は、この町の漁協に勤めるサラリーマンで、妻(母親)の実家である銭湯の2階に所帯を持った。近藤は、高校で札幌に出るまでの15年間、この町で多感な少年時代を過ごした。
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近藤 健 <こんけんどうエッセイ集シリーズ> 随筆春秋刊 第13集まで続々刊行!
同人誌 随筆春秋 代表
近藤 健
●近藤 健
近藤 健(こんどう けん、1960年1月15日- )は、日本のエッセイスト。筆名は、「近藤 健」と書いてこんけんどうと読ませる。
2003年の、第8回 随筆春秋賞 優秀賞を契機に随筆春秋の会員となり、2019年から、同代表で理事を務める。
・近藤 健 の故郷|様似の風景(↑CLICK! )
●目次
目次
1. 概要
2000年、40歳を迎え、サラリーマン生活の傍らエッセーの創作活動に入る。2003年の第8回随筆春秋賞優秀賞を皮切りに、2004年には第10回小諸・藤村文学賞優秀賞を、2009年には第4回文芸思潮エッセイ賞優秀賞を受賞する。一方、2005年から2011年にかけて、日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集』(文藝春秋刊)に、近藤健のエッセー5作品が次々と選出・収録される。2013年には執筆に8年を要した大作『肥後藩参百石 米良家 ―堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜―』(花乱社刊・共著)を上梓する。一下級士族である先祖(母方)を14代まで遡った本格的な歴史書である。
現在、同人誌 随筆春秋の代表を務める。その随筆春秋が主催する随筆春秋賞にも積極的に関わっている。
2. 略歴
1960年1月15日、北海道の襟裳岬にほど近い様似町に生まれる。父は、地元の漁業協同組合に勤めるサラリーマンで、母の実家は、当時様似に一軒しかなかった銭湯だった。中学までをその様似で過ごし、高校で単身札幌に出る。
1975年4月、ミッション系の進学校、札幌光星高校に入学。高校では学生寮に入寮し、卒業までを過ごす。1年の浪人を経て、1979年4月、京都市にある龍谷大学法学部法律学科に入学。大学ではESS(English Speaking Society)に加わり、京都全大学ESS連盟の役員を兼務したことにより、関西一円の各大学を訪ね歩く。そんな青春を過ごした京都は、近藤にとっては特別な場所となっている。
1983年3月、大学を卒業し、4月には北日本石油株式会社東京支店に入社する。会社は、石油製品の販売会社で、東京以北、東北・北海道を中心に拠点展開している。1989年1月、29歳の年、自ら凶悪犯人現行犯逮捕により、警視総監賞を受賞する。このときのことは、近藤のエッセー「警視総監賞」に描かれている。1996年5月には、日本エディタースクールにて通信教育課程「校正コース」を終了。
また、2000年、40歳を機にエッセーを書き始める。妻の病と対峙して、共倒れの危機感を覚え、エッセーをつづることで命脈を得た、と近藤の作品には書かれている。2010年4月、精神疾患を抱えた妻が、近藤のもとを去り離婚。妻との間に一女。
2012年には、52歳で宅地建物取引士の資格を取得。その後、北海道で暮らす母や妹の体調が思わしくないこともあり、住み慣れた東京を離れる。室蘭市を経て、2013年3月には札幌市に転居。2020年1月、北日本石油株式会社を60歳で定年退職し、グループ会社の北日本燃料株式会社へ転籍し、現在に至る。札幌在住。
3. エピソード
(1)佐藤愛子先生との関係
『祝電』~こんけんどうエッセイ集 第1集~(近藤 健 作品集|2021年11月 随筆春秋刊)の238ページ以降に掲載されている、佐藤愛子先生による「あとがき」の文章が、佐藤愛子先生と近藤健との関係性をよく表していると思われる。
『祝電』~こんけんどうエッセイ集 第1集~(近藤 健 作品集|2021年11月 随筆春秋刊)238ページ以降に掲載の、作家佐藤愛子による「あとがき」の文章が、佐藤愛子と近藤健との関係性をよく表している。以下に抜粋。
2005年6月1日は、直木賞作家・佐藤愛子とエッセイスト・近藤健が初めて顔を合わせた日である。
その日、近藤は、同人誌 随筆春秋の集まりで佐藤愛子邸を訪れていた。当時随筆春秋の代表であった斎藤信也のお供として、近藤はその大作家の玄関を跨ぎ、応接間で恐縮していた。
近藤いわく――その時の自分は緊張のあまり腐った秋刀魚のような目をしていた[26]。
※上記、近藤健(エッセイスト)‐Wikipediaより転載後一部修正。
佐藤愛子先生「あとがき」全文
タイトル「健さん おめでとう!」
近藤健さんと初めて会ったのは、二〇〇五年六月一日だったらしい。健さんからの手紙でそうわかった。それからもう十六年のつき合いになるのかとしばし感慨に浸った。随筆春秋代表だった斎藤信也さんに連れられて拙宅へ来られた八人ほどの女性会員の中、黒一点という趣で若い近藤さんが混じっていたのだ。健さんは北海道に在住していた人と聞いて、北海道好きの私はそれだけでヒイキするという感じになったのもはっきり憶えている。二〇〇五年六月の日記を探し出して確かめると、「六月一日。随筆春秋斉藤さん以下九人来訪。中に若い男性あり。この人の作品はダントツに面白い。賞にふさわしい人です」とある。何かの賞(多分、随筆春秋賞)を受賞されたのだろう。その時、いったい幾つくらいだったのか、今は何才になられたのか。この人は今も当時も少しも変わらない。年をとっても老けない人なのか。若い時から老けていたのか、よくわからない。穏やかで誠実な人という印象は今も変わらない。穏やかさの中身もやさしさも変わらない。その美点のために研鑽は、しないですむ苦労をかぶった人のように私には思えるのだが、その苦労は健さんの風貌のどこにも影を落としていないことに私は敬服せずにはいられない。それらは表に出ずに内向して濾過された彼の人柄、精神性に深みをもたらしたように思われる。その成長が今回のエッセイ集に開花しているだろうことを見るのが楽しみである。
二〇二一年秋 佐藤愛子
(2)添削講師近藤健、原稿用紙には早坂暁の揮毫
同人誌 随筆春秋の表紙にも印刷されている以下のロゴは、業界でも達筆で知られた脚本家早坂暁の毛筆による。近藤は、随筆春秋の会員を対象に、添削講師を務めている。人物略歴にもあるが、近藤は文章の校正に関しても精通している。そんな近藤であるが、トップクラスの著名人の作品に朱を入れるのは、なかなか骨の折れる仕事である、という。近藤は、自分専用の電子原稿用紙を使っている。その原稿用紙の左上余白には、必ずこのロゴを貼り付けている。日本屈指の脚本家の御文字を好んで使うのは、近藤のプロとしての心意気である。
(3)池田元と近藤健
池田元と近藤健は奇縁で結ばれている。
大石内蔵助以下四十七人の赤穂義士が、本所・吉良邸へ討ち入ったのは、元禄15年(1702)12月のことである。その前年、江戸城松の廊下での藩主浅野内匠頭が起こした刃傷事件の敵討ちである。義士たちは吉良上野介の首級をあげ、みごと本懐を遂げる。世にいう「吉良邸討入り」である。その後、大名四家にお預けとなった義士たちは、翌年2月に切腹を命じられる。
義士切腹に際し、熊本藩邸にお預けになっていた堀部弥兵衛(安兵衛の父)の介錯を行ったのが米良市右衛門で、近藤健はその13代後の子孫にあたる。一方、松山藩邸では堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯を荒川十太夫が行っている。池田元は十太夫の10代目の子孫になる。二人の末孫は、奇しくも堀部弥兵衛・安兵衛親子の介錯を行っている。のちに近藤と池田は、赤穂義士研究家の佐藤誠氏を介して知己となった。
すでに随筆春秋の事務局員であった近藤の勧めもあり、池田が入会する。その後、池田は随筆春秋の法人化を図り、一般社団法人随筆春秋を立ち上げ代表理事に、近藤は同人誌随筆春秋の代表として現在に至っている。
今年(2022年)は、赤穂義士の討入りから320年という節目の年を迎える。
この10月には、東京・歌舞伎座の「十月大歌舞伎」にて歌舞伎『荒川十太夫』の上演が行われた。
※動画では「介錯人というのは幕府から拝命する名誉ある仕事でした」としていますが、誤りでした。幕府から拝命するのではなく所属する藩から拝命します。拡大解釈のし過ぎでした。「幕府」の部分を「藩庁」と訂正すると正しい説明となります。
(4)会社と文学
私(随筆春秋代表 近藤 健)の会社北日本石油株式会社は、 かつて東京都中央区日本橋浜町2丁目14-5にありました。 地上6階地下1階の自社ビル「北日本ビル」です。6車線の1方通行の清洲橋通りを挟んだ向かいに明治座があります。建物の登記簿謄本を見ると、建築年が「昭和7年以前」と記されています。東京大空襲の被害で登記簿の原本が焼失したために、建築年がわからず、このような表記になっています。北日本ビルの天井は、駿河台の山の上ホテルの天井と瓜二つで、とても凝った造りになっていました。(続く)
(5)心に留めている言葉
近藤健が、文学をするうえで心に留めている言葉である。上は、文芸思潮編集長の五十嵐勉、下は、宮沢賢治である。
文學とは何か
人間の底には荒涼とした原野がある。人は日常生活においてそれを直視したくない。それに覆いを被せて生きているのが日常である。しかし文学はときにそれを剥ぎ取って見せ、生きる根深さを体感させてくれる。そこに文学の一つの精神性があるのであって、自然の相貌と対峙する生命の孤独がそこにこそ発露し、灼熱の文学体験が生まれる。
作家 五十嵐 勉
「雨ニモマケズ」(一節)
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
宮沢賢治
4. 主な文筆歴
2003年5月、「祝電」で第8回随筆春秋賞を受賞。同年より随筆春秋の会員となり、主催者でエッセイストの斎藤信也、脚本家で舞台演出家の石田多絵子からエッセイの添削指導を、2005年より作家佐藤愛子の文章指導を受け、現在に至る。2007年からの3年間は、随筆春秋賞の予備選考委員を務める。
自らの転勤願により北海道の室蘭市への転勤が決まり、2012年4月には室蘭文芸協会会員となる。2014年5月からは、同人誌 随筆春秋の会員を対象にエッセ―の添削指導を開始。2019年4月には、事務局長の池田元と共に、同人誌 随筆春秋の共同代表となる。同年12月には、同人誌 随筆春秋が一般社団法人となったことに伴い、池田元が一般社団法人随筆春秋の代表理事に就任し、近藤 健が理事 兼 同人誌 随筆春秋代表、添削講師となる。
遡って2000年6月には、勤務する北日本石油株式会社のホームページに筆名 小山次男で「Coffee Break Essay」の執筆を開始していた。以降、2019年12月までの19年半にわたり272点の作品を掲載する。アクセス数は、月間15,000(うち海外からは延べ140ヵ国、月間200)。2014年 1月には「こんけんどうのエッセイ-Coffee Break別邸-」を開設。発表作品総数 284点(2021年7月1日現在)。
2021年9月には、「こんけんどうのエッセイ Coffee Break Essay ~essence of essay~」と別邸をはずし、原題に回帰する。
5. 主な受賞歴
- 2003年 「祝電」で第8回随筆春秋賞優秀賞
- 2004年 「昆布干しの夏」で第10回小諸・藤村文学賞優秀賞
- 2009年 「妻の生還」で第4回文芸思潮 エッセイ賞優秀賞
- 2014年 「雪の匂い」で平成26年度札幌市民芸術祭 『さっぽろ市民文芸第31号』 随筆部門優秀賞
6. 主な媒体露出歴
- 2006年 「昆布干しの夏」|産経新聞の『06年版ベスト・エッセイ集 カマキリの雪予想』(日本エッセイスト・クラブ編|文藝春秋刊)の書評欄において評価される。当該作品はこのエッセイ集に収録されている。
- 2007年 「昆布干しの夏」|日高朗読会「あ・うん」主宰の朗読会で読まれる。(於 北海道新冠町レ・コード館)
- 2007年 「昆布干しの夏」|日高朗読会「あ・うん」主宰の朗読会で読まれる。(於 北海道新ひだか町ピュアプラザ)
- 2008年 「ボクがそこにいたわけ」|『文芸思潮23号 -追悼河林満-』に収録される。
- 2013年 『肥後藩参百石 米良家』|公益社団法人日本図書館協会の第2867回選定図書に選出される。(大学一般、専門家、成人一般向)
- 2013年 『肥後藩参百石 米良家』|熊本日日新聞の書評欄で取り上げられる。(大阪大学名誉教授猪飼隆明氏)
- 2016年 「風船の女の子」|日能研全国公開模試の難関中学受験用試験問題に採用される。
- 2020年「増穂の小貝」|朗読グループ枇杷の会(石川県・志賀町)設立10周年記念「朗読で彩る郷土文学 on You Tube」が配信される。
- 2022年「増穂の小貝」|令和4年10月30日 第10回枇杷の会(石川県・志賀町) 朗読公演 加納作次郎・近藤健作品が You Tubeで配信される。近藤健の紹介は3分13秒、「増穂の小貝」朗読は18分38秒から。
7. 主な著作・著書
- 「警視総監賞」『2005年版ベスト・エッセイ集 片手の音』(2005年8月 文藝春秋刊) に収録
- 「昆布干しの夏」『2006年版ベスト・エッセイ集 カマキリの雪予想』(2006年8月 文藝春秋刊)に収録
- 「介錯人の末裔」『2008年版ベスト・エッセイ集 美女という災難』(2008年8月 文藝春秋刊)に収録
- 「増穂の小貝」 『2009年版ベスト・エッセイ集 死ぬのによい日だ』(2009年8月 文藝春秋刊)に収録
- 「風船の女の子」 『2011年版ベスト・エッセイ集 人間はすごいな』(2011年8月 文藝春秋刊)に収録
- 『肥後藩参百石 米良家 ―堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜―』(2013年6月 花乱社刊)
- 『祝電』~こんけんどうエッセイ集 第1集~(2021年11月 随筆春秋刊)
- 『風船の女の子』~こんけんどうエッセイ集 第2集~(2022年6月 随筆春秋刊)
- 『昆布干しの夏』~こんけんどうエッセイ集 第3集~(2023年5月 随筆春秋刊)
- 『介錯人の末裔』~こんけんどうエッセイ集 第4集~(2023年11月 随筆春秋刊)
- 『増穂の小貝』~こんけんどうエッセイ集 第5集~(2024年9月 随筆春秋刊)
8. 主な関係者一覧
- 堀川とし(実業家/ 随筆春秋創設者)
- 堀川とんこう(プロデューサー、演出家/ 随筆春秋の指導者)
- 高木凛(脚本家/ 随筆春秋の指導者)☆
- 斎藤信也(元朝日新聞記者/ 元随筆春秋代表で元主催者)
- 斎藤智子(元朝日新聞記者、皇室担当/ 随筆春秋observer)☆
- 佐藤愛子(直木賞作家/ 随筆春秋の指導者)☆
- 遠藤周作(芥川賞作家/ 随筆春秋のゲスト指導者)
- 金田一春彦(言語学者、国語学者/ 随筆春秋の指導者)
- 早坂暁(脚本家/ 随筆春秋の指導者)
- 北杜夫(芥川賞作家/ 随筆春秋の指導者)
- 布勢博一(脚本家/ 随筆春秋の指導者)
- 竹山洋(脚本家/ 随筆春秋の指導者)
- 池田元(随筆春秋 代表理事)☆
- 正倉一文(随筆春秋 事務局長)☆
(☆は存命中)
9. 師弟関係
- 元随筆春秋代表(主催者でもある)の斎藤信也(元朝日新聞記者)から、40編におよぶ作品の添削指導を受ける。
- 脚本家、舞台演出家の石田多絵子からエッセイの添削指導を受ける。
- 2005年より直木賞作家、佐藤愛子の文章指導を受け、現在に至る。
10. 主な新聞記事
- 北海道新聞 朝刊<学生時代、家族、エッセー集に>札幌の近藤さん出版 全12集計画 「随筆春秋賞」入賞作など収録(2021年12月14日)
- 室蘭民報 朝刊<室蘭文芸協会会員・近藤健さん 初のエッセー集発刊> 表題「祝電」「格別の思い」(2021年12月9日)
- 熊本日日新聞「肥後藩参百石 米良家」<近藤 健、佐藤 誠著>史料を駆使 ルーツ解き明かす(2013年9月15日)
- 赤穂民報 義士介錯の武士末孫が波瀾万丈の一族譜『肥後藩参百石 米良家』(2013年5月25日)
- 北海道新聞 赤穂浪士を介錯 / 波乱に生きた一族400年史<札幌の近藤健さん出版>作業8年「先祖の思い後世へ」(2013年5月13日)
- 室蘭民報<近藤さん珠玉の1編>エッセー集の文庫本「死ぬのによい日だ」プロと並び掲載(2012年10月22日)
- 室蘭民報 ふれあい地域 回覧板<近藤 健さんのエッセー>(2012年1月19日)
- 室蘭民報 槍の特別公開に尽力 間新六が討ち入りで使用<槍公開に近藤さん仲介>(2011年12月31日)
- 赤穂浪士・間新六の遺品 討ち入りで使用の槍 非公開宝物を本紙独占取材(2011年12月17日)
- 室蘭民報<近藤 健さんの作品収録>文春文庫「08年度版ベスト・エッセイ集」介錯人の末裔(2011年11月5日)
- 北海道新聞<室蘭の近藤さん エッセー5度目の掲載>文芸春秋ベスト集 著名作家と肩並べ(2011年10月4日)
- 室蘭民報<近藤さん5度目の選出>ベスト・エッセイ集 最後の発刊「残念」(2011年8月20日)
- 北海道新聞 随筆集に作品収録<様似出身近藤さん>09年度版で4回目に(2009年9月10日)
- 産経新聞 読書Monday<カマキリの雪予想>日本エッセイスト・クラブ編(2006年9月18日)
- 北海道新聞<様似出身 東京の近藤さん作品>「エッセイ集」2年連続収録 有名作家と並んで掲載 故郷の昆布干し回想(2006年9月2日)
- 北海道新聞 小池真理子 堺屋太一も名を連ねた最高の栄誉『エッセイ集』収録作品に<近藤さん作品「警視総監賞」>(2005年9月15日)
- 日高報知新聞「祝電」が随筆春秋賞<様似町出身の近藤 健さん>(2003年4月18日)
11. ベスト・エッセイ集 掲載作品
12. 室蘭民報 掲載作品
13. 随筆春秋 掲載作品
14. 出版書籍の校閲・あとがき
15. 随筆春秋とは
16. 関連項目
- Wikipedia 佐藤愛子(作家)
- Wikipedia 佐藤愛子奨励賞
- Wikipedia 堀川とんこう
- Wikipedia 高木 凛
- Wikipedia 竹山 洋
- Wikipedia 近藤 健(作家)
- Wikipedia 池田 元
- Wikipedia 随筆春秋
- Wikipedia 随筆春秋賞
17. 外部リンク
- こんけんどうのエッセイ Coffee Break Essay ~essence of essay~
- 「増穂の小貝」、朗読グループ枇杷の会(石川県・志賀町)設立10周年記念「朗読で彩る郷土文学 on You Tube」にて朗読配信
- 同人誌 随筆春秋 公式ホームページ
18. ABOUT
一般社団法人随筆春秋
〒170-0003 東京都豊島区駒込7-10-10
TEL 03-3918-8500
随筆春秋 多摩事務所
住所非公開(研究開発、ロジスティックス)
揮毫は、早坂暁(脚本家)
一般社団法人 随 筆 春 秋