学士会会報より高橋順子先生のエッセイをご紹介
「学士会会報」(一般社団法人学士会、令和7年3月1日発行) に、気になるエッセイが掲載されていました。
学士会というのは、旧帝大の同窓会連合のような組織で、年6回「学士会会報」なる小冊子を発行しています (最下段に表紙を掲載)。科学技術や医学、国内・国際政治など、お堅い記事が多いなか、今回は、文芸に纏わる面白いエッセイ (随想) を見つけました。
作者は、高橋順子先生。日本を代表する詩人であり、熱海市にある現代詩の同人雑誌「歴程」の同人としても活躍されています。直木賞作家・車谷長吉の配偶者としても知られます。
今回は、随筆春秋会員の方々に、参考になればと思い掲載させていただきました。
また、著作権は、学士会に帰属する決まりになっていますが、不肖正倉も学士会会員の末席を穢しております(北大・経・昭和59)。問題があればすぐに削除させていただきます。学士会事務局の方々、よろしくお願いいたします。
(正倉 一文)
<随想>
難しい人
髙橋 順子
いま東大の女子学生の数は2割になったということだが、私などが入学した60年前は、100人を越えたと話題になっていた。1学年3千人の1割にも遠かった。キャンパスを1人で歩いていても誰も見ないが、女子2人で歩くと「女がいる」と見られているような気がした。
目の大きな、色の黒い、思慮深げな女子学生と親しくなった。この人は珍しく番長、麹町、日比谷、東大とエリートコースを歩いてきた人だが、気取ったところはなかった。
何でも分かっている人で、ともに仏文科に進むと、私に読書指南をしてくれた。萩原朔太郎詩集『月に吠える』の復刻版と、サンテグジュペリ『星の王子さま』の洋書を買うようにと言ってくれた。どちらだったか立て替えてくれたために、晩御飯を抜いたと言っていた。2人とも貧乏だった。
この2冊は、読み終わった後で、ああ自分は餓えていたのだと、分からせてくれた書物だった。そのために私は詩の世界に足を踏み入れたといってもいい。友人のほうはものを書く人にはならずに、読む人になっていった。
隣りのクラスにいた人で、いまでも近所に住んでいる女性がいるが、この人はいくつかの大学でスペイン語を教えていた。家族を大切にし、あえて教授の職を目指さなかった。「あなたたち、不良だったわね、お酒飲んで」と笑っていた。
話は戻るが、私たちは卒業式と翌年の東大入試が流れた世代である。<不良>だった友人はデモのさなかに機動隊のために頬に傷を負った。薬局に行くと「東大生ですか」と訊かれたそうだ。
卒業後私は、つてがあって、表向きは男子学生しか採らなかった出版社に就職できたが、なんと入社1カ月後に倒産し、それから小さな出版社に拾ってもらい、さらにもっと小さな出版社に移り、13年勤めた。しまいには1人で自費出版の詩集を請け負う出版社を興した。とはいっても内職みたいなもので、口コミで仕事がまわっていた。五十歳近くになって、小説家の車谷長吉と結婚した。2人とも貧しく、初婚だった。私が「しみじみした暮らしがしたい」と言ったので、所帯をもつ気になったのだそうだ。
また話が戻るが、学生のころ友人はフランス文学者になるだろうと私は思っていたのだが、大学院入試に失敗し、驚いたことに、或る日、小出版社の編集者として再会することになった。同業者になったのである。
私を詩の書き手として育ててくれたのは、青土社という出版社で、私はここで著名な詩人たちの仕事ぶりをつぶさに見ることができた。ゲラの赤字は大いに勉強になった。
とくに話題にはならなかったが、そのころ詩人には東大卒が多かった。安東次男、中村稔、大岡信、飯島耕一、入沢康夫、吉原幸子、天沢退二郎らである。詩を中心とした評論活動をした粟津則雄氏に、私はこの会社を紹介してもらった。
ヨーロッパ生まれのシュルレアリスムなどの前衛芸術思想は、現代詩という器のない器に盛られやすかったのだろう。実存主義の影響も大きかった。
一方、友人は営業担当のパートナーを得て、出版社を経営した。装丁もよくし、丁寧な仕事ぶりで働きづめに働いたが、どこか淡々と悠揚迫らぬところがあった。私は連れ合いによく上の空だと言われていたが、似たような気質をもっていたかもしれない。
しかしこの人は内に激しいものを秘めていた。彼女の起こした、よく分からない事件がある。もう書いてもいいだろう。
自社で刊行した大岡信詩集『春 少女に』の高見順賞受賞をなんと阻害したのである。方法は簡単だった。選考対象の詩集がじっさいには規定の期日内に刊行されていたのに、奥付の発行期日を意図して先延ばしにして印刷したのである。その結果、委員会で受賞が決定したにもかかわらず、事務局が奥付の日付に気づいて、取り下げられた。
彼女は文学賞を商業主義によるものと断じ、好きな詩集を賞でもって汚されたくなかったというのである。あまりに純粋で、純粋病みたいなところがあった。大岡氏に、「あなたの差し金か」と問われて驚いた。氏は終生このふるまいを許さなかった。
親友にして畏友だったこの人は、自費出版を含めた私の詩集を何冊も刊行してくれ、たまたま受賞すると、大きな花束を贈ってくれたが、内心にがにがしい思いだったかもしれないという疑いがきざしてしまうのは、どうしようもなかった。
彼女は大病を患って、3年前、77歳でこの世を去った。亡くなる数年前だったか、結婚してパートナーの姓を名乗ったが、火葬場で焼かれた人は私の知らない人だと思って耐えた。永い付き合いだったが、人は難しいと改めて思う。
(高橋順子:詩人、東大・文・昭和43)
【エッセイの補足説明】
このエッセイは、高橋順子先生が東大在学中に親交を深めた同級生(女性)との交流を通して、人間の複雑さや、友情の難しさを描いた回顧録です。全共闘世代の学生運動や、当時の東大における女性の立場、そして出版業界の裏側などが、高橋先生の個人的な視点から語られます。長年の付き合いの中で見た、友人との間に起きた衝撃的な事実。そこから、先生は「人は難しい」という感慨を抱きます。このエッセイは、個人的な回想を通して、時代背景と、複雑な人間模様を描き出した、読み応えのある作品となっています。
(正倉 一文)
【奥付・発行日の怪】【NEW】
書籍の巻末に、出版社や著者、監修者、発行日などを集約的に記した場所がある。これを奥付 (おくづけ) という。常識的に考えると、発売日の以前に、発行日が存在するはずである。ところが、現実には、発売日から数えて、1週間後とか10日後に、発行日を設定している場合が多い。これは、刷り上がった書籍を物流を経由して書店の棚に並べた時、本が少しでも新しく見えるようにとの業界の苦肉の策であるという。海鮮と同様、書籍も、鮮度が重要なのである。
髙橋順子先生のエッセイに登場する女史は、その奥付の記述を自由に設定できる、という出版社の特権を利用して、特定の著者(大物現代詩人)の受賞を阻止したのである。
(正倉 一文)


制作|事務局 正倉 一文