「くましんし」からの告白
物語のラストを読者の想像にゆだねる例として、あまんきみこ作の「くましんし」があります。代表作「車のいろは空のいろ」(ポプラ社、1968年)に収録されています。これは、タクシーの運転手である松井五郎さんが主人公のファンタジーです。
松井さんが仕事を終え、客席のドアをあけると、大きな黒いサイフの忘れ物に気づきます。サイフの中にある持ち主の名刺には「熊野熊吉」とあり、深夜、家の前のブザーを押すと、鉄の門がずずずずっと開いて、奥さんが「お待ちしてましたよ」と出迎えてくれました。立派な家に招かれると、最後に乗せたその紳士が松井さんに、サイフはわざと忘れていったというのです。
「あなたに、もう一度お会いしたくてね」
紳士は、自分が北海道の釧路のさきの「こたたん山」に生まれたクマであると、告白するのでした。すると、紳士の顔が黒い毛におおわれて、しめった鼻がとび出し、口が大きくさけはじめたのです。
「このわたしの顔、こわいですか?」
「いいえ、顔はクマになっても、変わらないものがあります。それは目です」
「ありがとう」
うれしそうにクマ紳士がうなずくと、松井さんにウイスキーのグラスを出して、話しはじめました。
「こたたん山は、いまごろ、雪でまっ白になっているでしょう。あのあたりも人間がくらすようになりましてね、わたしたちのすむところが、だんだんせまくなってしまったのですよ」
クマ紳士は、372匹のクマたちと15年前の秋にお別れ会を開いたのだというわけです。今は人間になって、ようやく家族とくらしているのだと。ウイスキーがきいた松井さんにクマ紳士は歌いはじめました。
こたたん山の くまたちは
人におわれて 人になる
こたたん こたたん
雪のふる朝 山こいし
雨のふる夜も 山こいし
こたたん こたたん
人の世界に くまがすむ
くまの世界に 人がすむ
こたたん こたたん
はっと目をさました松井さんは、サイフを忘れていった紳士の家の前で、ぼんやりと立っているのでした。やがて黒い鉄の門がずずずずっと開いて、松井さんのしんぞうが、どきどきと、はげしくなりはじめました。
——こんな終わり方も読者が一緒にドキドキ感を味わえる効果があります。
浜尾

制作|随筆春秋事務局

