第25回・池田元のエッセイ教室
——佐藤愛子先生のご指導——
コンプライアンス
池田 元
2021年は新型コロナウイルス感染症が流行している最中で、ご高齢の先生をお訪ねするのは大いにためらわれた。しかしながら先生は私に「あなたがコロナに罹っているわけじゃないんでしょ? 用事があるならマスクをして、いつもみたいにいらっしゃいな」と仰せになった。先生は一貫して、新型コロナウイルス感染症に対しては戦う姿勢を取っておられた。婦人雑誌の取材にも「始まったものはいつかは終わる。むやみに不安がっていても仕方がない」とお答えになっておられた。
お言葉に甘えて4月15日、私は事務局の森川さんと2人でお邪魔した。森川さんは、随筆春秋の創業者・堀川とんこう先生の従妹である。とんこう先生は昔から佐藤先生のお気に入りであり、その従妹を連れて行ったとあって、佐藤先生は大いに歓迎してくださった。
その日の先生はとてもご機嫌がよく、いろいろプライベートな話もしてくださって、普段無口な森川さんも笑顔で相槌を打ちながら話に加わった。ご機嫌が良い時、先生は関西風のイントネーションになる。私が標準語で話すので、先生も完全な関西弁にはならないが、関西弁の一歩手前まで行き、とてもくだけた優しい感じになるのである。
「ほんと最近は耳が遠くなってしまって、不自由でしょうがないのよ。電話で話していても大きな声で話さにゃならんし、相手からはお元気ですねえと言われるし。元気なんじゃなくって、聞こえんので、仕方なくこうなんですよって、いちいち言うのも面倒くさいしねえ」
「それで人に勧められて補聴器を買いましてね。それも安い物じゃ駄目だっていうから専門のところで100万円以上かけて誂えたんですよ。それでもずっと着けていると、雑音がするときがあって、なかなかずっとってわけにもいかなくてねぇ」

「荒川さんは声が大きくてよく通って、あなたはいいわ。最近の若い女性記者なんかは、声が小さくって、なに言ってるか聞き取れなくてねえ……あ、いえ、今は補聴器をしてるから、そんな大きな声を出さなくってもいいのよ。却ってうるさいから。あははは」
とこういう感じであった。私はちょうど皇室報道が盛んにされている時期だったので、先生に「眞子さまと小室さんのことは、どう思われますか」と尋ねた。会話の流れには全然何の脈絡もない、ただ佐藤先生のお考えが聞いてみたかっただけの質問である。
先生はそれでも機嫌よく、笑顔でこう言われた。
「私、よく知らないのよ。最近テレビもほとんど見ないし、新聞も興味のないところは読まないしねえ。ただあれでしょ、小室さんのお母さんの金銭問題のことで、叩いている人たちがいるみたいじゃない。紅緑が生きていたらきっと『小室某なる人物と皇室が縁したら、皇統の血が汚れる』、と言って怒ったでしょうねえ。紅緑だったら、の話よ。私にはよくわからないのよ』と、この件はこれで終わった。
時は移って次にご自宅に伺ったのは、その年の11月23日、この日も先生はご機嫌が良かった。私は斎藤智子さんのことを先生にご報告した。斎藤さんは先代の随筆春秋代表、斎藤信也先生の長女で、斎藤先生と同じく朝日新聞社の記者であった。特に智子さんは長年、皇室報道を担当されており、署名記事も多数ありテレビ朝日にも出演されていた。
彼女はこの年に朝日新聞社を定年退職されたので、随筆春秋では執筆あるいは表紙絵をお願いしたいと考えていて、そのことを佐藤先生にも相談したのだ。佐藤先生は大賛成してくださった。話の流れから最近の皇室のことになり、私は佐藤先生に「眞子さまと小室さんのことは、どう思われますか」と半年前と同じ質問をした。
すると先生は、私がその質問をしたとたん、姿勢を改められて、
「眞子さんという方は、ほんとうに意志が強くて真面目な方なんですね。今度のご結婚のことは、この時代の皇室のあり方に、様々な障害があってたいへんだったけれど、眞子さんは実に勇壮でした。ご結婚についての会見の様子をテレビで見ましたが、すっかり感心しました……」
半年前と違って今度は「私、よく知らないのよ」とも「私にはよくわからないのよ」ともおっしゃらなかった。まさに滔々と、書いてある物を読み上げるように(きれいな標準語で)お話になってくださったのである。私は先生のご見識に圧倒されたが、一方で強い違和感を覚えた。これではあらかじめ準備された内容を、プレゼンテーションされただけなのではないか。そのあとも先生は、いろいろ語ってくださったが、私は先生の「よそ行きの声の調子と表情」が気になって、相槌もろくに打たずに聞き流した。
年が明けて2月末、近所の図書館で婦人公論のバックナンバーをチェックしていた時である。前年12月号の表紙に「小室眞子さん『ご結婚騒動にもの申す』佐藤愛子」とあったので、さっそく読んでみた。
驚いたことにそこに掲載されていた記事には、前年私が佐藤先生から伺った内容が、そっくりそのまま掲載されていた。否、むろん佐藤先生から聞いたことが、佐藤先生のインタビュー記事に出ていたのだから、話の内容が違わないのは当たり前ではあるのだが、驚いたのは先生が選んだ言葉や言い回しが、実際耳から聞いた内容と婦人公論に書かれている内容とで寸分違わなかったことである。
私は先生の作家としてのプロ意識に舌を巻いた。それまでも時折、先生の口述筆記をした内容をFAXして、チェックしていただいたことがあった。佐藤先生のチェックは非常に厳しくて、何度も何度も繰り返し直された。私がへこたれていると「気の毒だけど、いったん発表されてしまうと『佐藤愛子はこんなことを書いていた』と残るから、一切妥協はできないのよ」と言われたものだ。
皇室報道への感想もそうだったのだろう。他の事件や災害のことならともかく、ことが皇室関係になると「いつ、だれが、何を言った」は、永久に残るかもしれない。先生が最初に「私、よく知らないのよ」「私にはよくわからないのよ」とおっしゃったのは、いい加減な想像や憶測、真偽不明な情報からの私見は口にしない、というプロ作家としてのコンプライアンスだったのであろう。
プロもプロ、佐藤先生は文壇を代表する大御所である。影響力は計り知れない。
しかるに婦人公論の担当編集者は、今まで何度も皇室の慶事に招かれ、皇室についての発言も多かった佐藤先生から、世間の耳目を集めている「眞子さまと小室さんのこと」について、ぜひコメントが欲しかったのだろうと思う。編集者とどんなやり取りがあったのかは不明だが、先生はこの問題を語るにあたって、相当勉強なさったに違いない。
インタビューは前年の11月1日のこととある。たぶん録音して書き起こしたのだろう、先生独特の言い回しが活き活きと描かれている。そして先生は例によって記事になる前に、FAXで厳重に朱筆を入れられたに相違ない。私の質問に答えてくださった時には、まだその記事の記憶が鮮明に残っていた時期だったのだろう。
佐藤愛子先生は、背筋に鉄筋が入っているような方であった。
その生き方が作家として合格か否か、熟慮の上で行動をする先生であった。離婚をして実の子供を手放したことが気に入らないとか、野球選手と不倫したことが気に入らないとか、霊界の話が多すぎる、霊能者を信じすぎるとか、いろいろ批判する人はいるけれども、批判する者、敵対する者に自分がどう見えているのか、ということを、じゅうぶんわかった上で作家活動をなさっていた。それが佐藤愛子だと思うのである。
(2026年11月5日)

制作|事務局
【広告】
近藤 健 <こんけんどうエッセイ集シリーズ> 随筆春秋刊 第13集まで続々刊行!









