やなせたかしさんの思い出(一人のために)
どうしたら後世に残る童話を書くことができるのかと、誰もが考えます。
子どもから大人まで読みつがれるためには何か特殊な秘策があるのではないかと。
しかし、そんな魔法のような方法があるのなら作家は苦労しません。
詩をもっと自由な身近なものに、プロもアマも子供も大人もいっしょに楽しめる読み物を追求した雑誌「詩とメルヘン」は、やなせたかしさんが編集していました。(1973~2003)サンリオから刊行されていたのです。
高校生だった私は「詩とメルヘン」に出会ったことで創作への憧れが芽生えはじめました。連載エッセー「星屑ひろい」でやなせさんはイギリスの作家について書かれていました。数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドドソンが知人の娘たちと川遊びに出かけ、次女にせがまれて即興でお話を作って聞かせたといいます。
いかにも数学者らしい内容で、その娘アリスを主人公にした話が「地下の国のアリス」後に「不思議の国のアリス」となったのです。やなせさんは強調します。
「たった一人のために語って聞かせた物語」が世界に知られることになったのだと。
つまり、多くの子どもたちを意識する必要はなく、愛する誰かのために書くことも、結果的に大衆に受け入れられることに繋がるというやなせさんの言葉はとても説得力がありました。
「アンパンマン」も初めは「怪傑アンパンマン」でした。「連載熱血メルヘン」として「詩とメルヘン」に発表されていたのです。私事ですが、若い頃に手づくり絵本をやなせさんにお見せする幸運にめぐまれました。
やなせさんが東池袋のあるビルで講演をすると知った私がビルを探していると、タクシーから降りた、やなせさんを見つけることができたのです。サングラス姿が少し恐そうでしたが私の絵本を読み終えると、
「ぼくたちは印刷しか知らないものだから、製本のやり方を教えてもらえませんか」と、にこやかに言われました。創作のコツをうかがうと、「無駄な文章も必要な場合があり、ぼくの場合はね、書くだけ書いて、後から削除するんですよ」
と、さりげなく書き方のアドバイスまで頂けたことが何よりの励みになったものでした。やなせさんにビルの道順を教えて頂き、ようやく目的地に着くことができました。
会場は、大勢の人たちで埋められていました。やなせさんが壇上に上がられたときに真っ先に言われたことばは、
「先ほどの学生さん、無事に辿り着けましたか?」というものでした。私のような「一人のファン」にさえも、温かな思いやりを忘れなかったのです。
浜尾

月刊『詩とメルヘン』サンリオ刊
連載エッセー 星屑ひろい より

制作|事務局 正倉 一文