🖊️池田元のエッセイ ‐ 佐藤愛子先生ご指導!
【第19回】
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遺産相続
継母は父の通夜には出たが、告別式を欠席することになった。
妹の貴子が上京して結婚してから牧師になったので、その顔を立ててキリスト教式の葬儀でも構わないと決めたのは継母本人であった。しかし貴子が東京から呼びよせた主任牧師の鈴木先生が、絶え間ないスピーチと讃美歌でにぎやかに通夜を仕切ってしまうと、すっかり臍を曲げてしまって、翌日の告別式のボイコットを決めたのだ。
そのうえ継母は、異母妹(継母の娘)の真理と三人一緒に実家に戻った私に猛烈な八つ当たりをし、大雨が降る中を追い出して、事実上の絶縁宣言をした。私はずぶ濡れになりながらどうにかタクシーを拾い、妻子を宿泊させていた道後温泉のホテルに合流した。
物見遊山ではない。荒川家の墓は温泉街の中にあるのだ。
子どもたちはもう寝ていた。私は妻に手短かに事情を話し、告別式では私が喪主を代行するからそのつもりでいるようにと言った。妻はただ黙ってうなずいた。
次に私は別のホテルに宿泊している貴子に電話した。
「お継母さんはひどく怒って、半べそをかいていたよ。キリスト教式葬儀の経験がなかったんじゃないかなぁ。鈴木先生にお父さんは神様の御許に召されたんだから、死んだことを悲しんでないで、喜んで送るべきだと言われてショックを受けたみたい」
真夜中の電話なので声を抑えながら、私は貴子にくわしい事情を告げた。
「そうね……」
重苦しい沈黙のあとで貴子は私に詫びた。
「兄ちゃん、ごめんなさい。鈴木先生は素晴らしい指導者なんだけれど、信者さんの葬儀がほとんどで、外部の、しかも地方に出ての葬儀だから、浮いていたかも知れないわ」
誰が悪いわけでもない。私は貴子を傷つけまいと、努めて平静を装った声で言った。
「うん。他の人のことはいいんだけれど、お継母さんはもう許してくれないみたいだね。真理は来させると言っていたけどね……」
貴子は諦めたような声で言った。
「わかった。朝ご飯のとき、鈴木先生に告別式はもう少し控えめにやってくれるように言うよ。兄ちゃん、色々とごめんなさい」
貴子との電話を終えて、私は冷え切った体を温めに大浴場に向かった。
翌朝十時から行われた告別式は親戚の参加がほとんどで人数も少なくなり、通夜に比べて簡素に行われた。鈴木先生は通夜と同様、明るく元気だったが、貴子の依頼が利いたのか、スピーチの回数と説教の時間はずっと短縮してくれた。私はそつなく〆のスピーチをして参列者に礼を延べ、告別式を無事に終えた。徐々に継母が不在であることのプレッシャーから解放されるような気がしてきた。
火葬場で骨上げを待つときになって、ようやく私には親戚一人一人と向き合って言葉を交わす余裕が出た。二十年、三十年ぶりに会う従兄弟たちもいて、嬉しさと懐かしさで目頭が熱くなった。
狭い田舎のことである。火葬場と墓地はそれほど離れていなかった。雨は前の日からずっと降り続いていたが、皆が傘をさして墓地までついてきてくれた。
父の骨壺を抱いた私と聖書を持った鈴木先生が同時に墓前に立つと、黒い雨合羽を着た石屋さんたちが石室を開きに掛かってくれた。
鈴木先生が振り返って「貴子さん、私の隣へ」と呼んだが、貴子は私の子供らの後ろで真理と並んで立ったまま、前に出るのをためらっていた。
鈴木先生は抑えた声で貴子を叱った。
「何をしているんですか。私と一緒にお父さんに祈りを捧げましょう。貴女は義理のお母さんに、ずっとお父さんを取られたままでいたんですよ。今やっとあなたたち兄妹の所に、お父さんが帰ってきたんですよ」
私は鈴木先生の台詞を聞いて驚いた。鈴木先生は生前の父に会ったことはない。継母とも通夜が初対面である。つまりは貴子がそんなふうに家族のことを鈴木先生に言っていたのかと初めて悟った。
ちょうどそのとき、石室が開いてポツンと一つ、見覚えがある白い骨壺が安置されているのが見えた。三十三年前に他界した私と貴子の生母の骨壺だった。
私は父の葬儀で起こった一連のことを偶然とは思わなかった。
『これは全部、ママのしわざ?』
心の中で生母にそう呼びかけた。これから父は母と並んで眠ることになる。生母もこれで満足したろう、そう思って私は納骨が終わるまでずっと無言で通した。
継母から大事な伝言があるという真理と、貴子を交えて三人で相談するため、私は妻にホテルの一室を取ってもらった。どうせ遺産相続のことだろうと思っていたら、果たしてそうであった。真理は冒頭、貴子に、
「お姉ちゃんがお母さんの気持ちを考えないで、あんな変なお通夜をやったから、もう会いたくないと言うの。私も悲しかった……」
と言った。貴子は黙ってうなずいた。真理はさらに私たちに、
「今日はお父さんの遺言書と預金通帳を預かって来たから、二人に見てもらうね」
と告げ、表紙にマジックで「遺言書」と書かれた大学ノートを出してきた。そこには松山の家屋敷は同居している妻と真理にすべて譲る、東京にいる十太と貴子には証券会社に預託してある株券を譲る、と書かれていた。
大学ノートで使われているページは最初の一ページのみ、しかも斜めにゆがんだ走り書きで捺印もなかった。筆跡は確かに父のものだが、四十過ぎまで銀行勤めをしていて几帳面な性格だった父らしくなかった。
同時に見せてきた預金通帳は一冊だけ、しかも一年ほど前に全額が引き出されていて残高ゼロになっていた。真理は、
「現金は全額、お父さんの介護費用に使いました」
と言ったが、死ぬまで父が貰っていたはずの年金はどうなったか、生母が昔、私と貴子に残してくれていたはずの貯金や保険はどうしたのかの説明も全くなかった。
真理は仮にも愛媛県庁の上級職員である。大学ノートの遺言書や、残高ゼロの預金通帳が遺産分割の協議にどれほど実効性があるのか、彼女自身が疑問を抱かない筈はなかった。真理も継母に操られているのかと思うと、私は十五歳年下の、娘のように可愛がってきた妹のことが不憫でならなかった。
貴子は真理の目を見てはっきりと告げた。
「私は何も異存はないよ。だって私たちの財産はすべて天国にあって、この世には何一つないんだもの」
私は貴子の言葉に好感を覚えて同調した。
「うん、僕も異存はないから、お継母さんによろしく」
真理はこちらにもわかるほど安心した顔をして帰って行った。
真理の姿がエレベーターの扉の向こうに消えたとたん、貴子は私に向き直って言った。
「ママが癌で入院しているとき、兄ちゃんがママの寝ているベットを足がかりにして、お父ちゃんの背中に飛びついて、無理やりおんぶして貰ったことを覚えている?」
「えっ? うーん、そんなこともあったかな」
「私はそれが羨ましくって、すぐベットに駆け上ってポーンとお父ちゃんにおぶさっている兄ちゃんの背中に飛びついたんだ。親亀の上に子亀、子亀の上に孫亀みたい、そう言ってママが大笑いした」
「うーん……」
「私、家族みんなが大好きだったの」
不意に私の脳裏に、そのときの情景がはっきり思い出された。私は胸をぎゅっと掴まれたような気分になり、年甲斐もなく、思わず嗚咽しそうになるのを必死でこらえたのであった。
佐藤愛子先生のご指導
佐藤「池田さんの作品読みましたよ。荒川十太というのがあなたの筆名でしょ。この継母と書いてあるのが、ファンだと言って下さるお母さんのこと?」
池田「はい、そうです。継母は佐藤先生がお若い頃からのファンで『わたしもあんなふうに、思ったことがズバズバ言える性格なら、人生はどんなに楽しいだろうと思うわ』などと申しております。わたしから見ますと『お義母さんも、ずいぶん思ったことをそのまま言いますよ』という感じなのですが……」
佐藤「あはは。わたしこのお義母さん、気に入ったわ。一度お会いしてみたいわね」
佐藤「この作品は焦点がボケているわね。登場人物が多すぎるんです。まずあなた、それから妹さん二人、お義母さん、死んだお父さん、牧師さん、みんなにちょっとずつ役が振られてて、台詞もあって、読者としてはどこが焦点かが分かりにくいのよ」
佐藤「短い作品に詰め込み過ぎ。池田さん、あなたは何が書きたかったの?」
佐藤「お父さんの葬儀が大変だったのはわかるけど、自分自身の葛藤に囚われて『義母はとんでもない人だ』、だとか、『常識では考えられない人だ』とか言ってないで、お義母さんのことを『この人は面白い!』と思って、人間を掘り下げて書いてごらんなさい。そしたらエッセイが面白くなる」
佐藤「エッセイで大事なことは人間を描くことです。この話の中で、掘り下げて面白くなりそうな人はお義母さんだけよ。それを池田さんは、自分が苦手に思っているから義母のことは考えたくない、とんでもない人なんですと主張してしまったら作品は何も深まらない」
佐藤「本当の文学を書こうと思ったら、人間には良いも悪いも、正しいも正しくないもないんですよ。ただその人がいるだけ。その人というのがじつは色々な面を持っているわけですよ」
池田「(佐藤)紅緑先生の『ああ玉杯に花受けて』では、チビ公、光一、生蕃と善玉と悪役が明快に書き分けられていますが……」
佐藤「あれは少年小説だからですよ。子供にわかりやすく書いてあるの。誰に向かって書いているのかが大事。たとえば『血脈』ではサトウハチローのことを、世間では天才詩人ともてはやすけれど、その実態は妻妾同居みたいなことを平気でやる傍若無人。そこをあますことなく書いているわけですよ。これがサトウハチローという人間を知るという試みの一つになっているわけ」
「人間をお書きなさい。それがエッセイであり小説であり文学の使命ですよ。お父さんのお葬式からまだ時間が経っていないのならば、池田さんも胸のつかえがおりてないから、お義母さんにちゃんと向き合えないかもしれないけれど、いつかは真正面から立ち向かってお書きなさい。長生きすれば、その時はいつか来るのよ。ほんとうの寿命は誰にもわからないけれど、人生は百年あると思って計画して生きなさい」
「それから、書き直せば、この作品は『遺産相続』という題名にはならないでしょうね。題名が内容にそぐわないものね」
2022年5月25日お電話にて
制作:正倉 一文
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