(北海道新聞デジタル2024年9月9日より)
『極北の全共闘—あの時代と私たちの55年—』極北の全共闘 編集委員会、2024年7月31日. p176‐178「—あの時代を共に生きたみなさまへ—」工藤慶一(1948年旭川市生まれ)、より以下に抜粋しました。
かなり前から私は ”1969年11月8日” に北大本部に少人数でこもるのではなく、当時の教養部体育館に1000人くらいでこもっていたら、その後の展開は個々人にとってどんなものになっていただろうかと夢想するようになっています。多様な道を探る余裕がないまま袋小路に入るのではなく、千分の一の負担で、その後の生を、志をふまえて生きることができる道はなかったかと思うのです。しかし、現実の体験から得られたものも数知れず、今の私の血となり肉となりました。
裁判が進む中で、本部被告団が「団」ではなく「被告の一人」となった時の負荷があまりに強く、助けを求めるようにある党派に入ったため、全ての人との関係が狂ったまま、高裁判決後に下獄しました。数年に及ぶ獄中での自分の生を賭した格闘の末に得たものは、「われ(我)ひと(人)、共にある道を探る」という思念です。こうして出所したのです。これが後年、不思議なことに夜間中学の信念に結びつきました。私にとっての夜間中学スローガンは「ともに生き、ともに学ぶ・できることから始める・退かない」の三つであり、これをいつも反芻しています。現在は、これに「戦争は学びを奪い、真の学びは平和をつくる」が加わっています。
夜間中学で一番感じることは、受講生お一人お一人が困難を抱えて生きてきた分だけ、試験の点数をかせぐ能力ではない力(他人を思う力・文章を読んだ時の豊かな感想・生き抜いていく力等々)を持っていて、これが「かけがえのない世界」を作っていると思えることです。この方たちに出会うため、若い時の困難があったのかと思えるくらいです。