『岸辺のアルバム』と住宅文化

随筆春秋資料室

——堀川とんこうは日本の住宅文化に大きな影響を与えている——

 毎週金曜日、午後10時から、全15回で放送されたTVドラマがある。 期間は、1977年(昭和52年)6月24日から9月30日。台風シーズンに合わせた放送スケジュールとなっていた。
 『岸辺のアルバム』(TBS系列)は、当時では珍しかった辛口のホームドラマだ。今から48年前(2026年現在)、この番組をリアルタイムで観た世代は、現在50代後半以降ということになるだろうか。
 原作・脚本が山田太一、プロデューサーが堀川敦厚ほりかわあつたか、監督が鴨下信一などとなっている。山田太一の本が採用されドラマが滞りなく最終回まで放送されたという点では、一番の立役者は、プロデューサー堀川敦厚(後の堀川とんこう)ということになるであろう。というのも山田太一のこの型破りの脚本※は、当時の業界では誰も採用したがらなかったという。堀川ただひとりがその進取の気質から購入を決めた。第12回では堀川自身が演出も手がけている。
 リアルタイムでドラマを観た私(当時18歳)は、オープニングの、マイホームが濁流に飲み込まれていく映像を、今も鮮明に思い出すことができる。実際のニュース映像が使われていたという。この趣向は堀川自身が考え出したものである。堀川の著書『ずっとドラマを作ってきた』(新潮社、1998年)にもそのことが記されている。

※【この型破りの脚本】八千草薫演じる一家の主婦が竹脇無我演じる浮気相手とラブホテルに赴いたり、中田喜子演じる女子大生(長女)が外国人男性と肉体関係を結んだり、杉浦直樹演じる夫の勤める大手商社が実は裏では人身売買に手を染めていたりと、それまでのホームドラマでは絶対にありえなかった、ショッキングな内容が盛り込まれている。それを国広富之演じる予備校生(長男)が気を揉むという構図。
 役者国広にとってはこれがデビュー作となった。ドラマ撮影中、自信喪失の国広を、堀川が、撮影現場の多摩川河川敷で叱りとばし、励ましたという逸話が残っている(堀川の著書『ずっとドラマを作ってきた』にも記述あり)。

堀川とんこう『ずっとドラマを作ってきた』(新潮社、1998年)より

(左から、中田喜子・杉浦直樹・八千草薫・国広富之)

 ドラマ放送の3年前、1974年9月1日から3日にかけて、台風16号のもたらした豪雨で、多摩川が増水した。東京都狛江市では、左岸の堤防が260メートルにわたって決壊し、宅地3000平方メートルが濁流にえぐり取られ、住宅など19戸が流された。幸いにも住民は避難を済ませており、死傷者は1人も出なかった。
 多摩川沿いのしゃれた住宅が次々と流されていく光景は、人々の夢を壊す残酷なものだった。当時、マイホームは庶民の夢であった。
 映像では、木造賃貸アパートが形を崩さず、そのままの姿で流されていくところが、ハッキリと見てとれた。その様子を繰り返しオープニングで見せられた視聴者が、この事実に注目しないわけがなかった。アパートは、木質系パネル工法の採用を売りにしていた、ミサワホームの手がけた物件だった(直下写真参照)。

強固なモノコック構造により、台風の影響で基礎の土砂を半分削り取られても、建物本体は原形を保ったミサワホームの建物(ミサワホーム公式HPより)。※モノコック構造については、以下の本文中で説明をしています。

 木質系パネル(直下左端写真参照)というのは、木製の芯材を縦横に組み、それを両側から合板でサンドし、中の空間にはグラスウール(断熱材)を詰め込んだものである。そのパネルを使い、現地で組み立てる工法を、木質系パネル工法という。在来工法とは異なり、柱を立てない。壁自体が、構造駆体(耐力壁)となっているのだ。
 発想は、ツーバイフォーとも似ている(ツーバイフォーにも柱がない)。その意味で、木質系パネル工法というのは、現地で施行を行うツーバイフォーをプレハ化したもの、ということもできる。木質系パネルは予め工場で生産される。つまり、これがプレハブという意味である(プレ=予め、ハブ=組み立てる)。 
 なお、木質系パネル工法による住宅は、強固なモノコック構造(直下中央写真参照)となる。モノコック構造とは、切れ目のない箱型ということだ。乗用車のボディーなども、板金による箱型となっていることから、モノコックボティーと呼ばれている。どちらも軽量で頑丈である。
 ミサワホームの社員研修では、今でも、このオープニング映像が使われることがある、と伝えきく。

 折しも1976年(昭和51年)9月、ミサワホームからは、木質系パネル工法を採用したO型(直上右端写真参照)という企画住宅が発売となっていた。ドラマ放送開始の前年であった。
 価格帯は、当時のサラリーマンにも手が届く設定だ。O型は、その後十数年間にわたり販売されつづけ、累計5万戸も売れている。驚くべき数字である。 
 O型は、実は日本では初めて、LDKを取り入れた間取りとなっていた。LDKというのは、リビング・ダイニング・キッチンとが一体となった間取りのことをいう。現在では日本全国に普及している。
 それらの陰にはこのドラマの功績があった。堀川とんこうは、図らずも、日本の住宅文化の発展に大きな影響を与えることになったのだ。

【編集後記】

 亡くなった堀川とんこう先生が、テレビ界・映画界・文筆業界のみならず、住宅業界にも大きな影響を与えたことを、ご自身はどれほど自覚されていたのだろう。
 ミサワホームの木質系パネル工法の家は「プレハブ」と呼ばれた。プレハブとは、本文で説明した通り、工場で予め組み立てられた、という意味である。当時は、プレハブといえば、安物住宅の代名詞ともなっていた。また、ミサワホームの住宅を「べニアでできた家か」と揶揄する人々もいた。これらは、少なくともミサワホームに関しては、いわれのない偏見であった。
 例えば、O型の場合、改良に改良が重ねられ、中盤からは質感もかなり向上し、外観も内装も在来工法の住宅以上に豪華になっていった。
 現在では、木質系パネル工法の住宅や、ツーバイフォー工法の住宅も、構造駆体である壁の部分をはじめ各所が予め工場で生産されている。つまりプレハブ化が進んでいるのだ。そんな現在では誰も「プレハブ=安物」とは考えなくなっている。というよりプレハブは普及して常識となりもはや死語となりつつある。

2024.09.10 修正加筆
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正倉 一文


堀川とんこう先生・高木凛先生ご夫妻

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