半世紀も前の話である。高校2年生の3学期、席が隣り同士になったのが縁で彼女ができた。彼女の父親は、東京医科歯科大学出身の歯科の開業医だった。そんなことへの忖度もあり、成績の悪かった僕は獣医学部に進学をした。僕は犬を飼っていて動物が好きだったが、獣医師になるのだ、という強い気持ちがあったわけではなかった。受験直前、僕はその彼女に振られた。
彼女は、付き合っていた頃によく「わたしぃ、絶対にッ、サラリーマンの奥さんにはなれないと思うの」といっていた。あれはどういう意味だったのだろうか。彼女は結局、国家公務員と結婚した。
失恋は、40歳を迎える頃まで僕の人生に暗い影を落としていた。あの頃は、彼女と結婚することを心に決めていた。
彼女が僕を振った理由は、僕の浮気だったという。予備校時代、僕はある時期ほぼ毎日、友人の彼女と一緒の電車で帰っていた。彼女も代ゼミに通っていた。僕は、西武池袋線沿線だったが、その彼女に合わせ、西武新宿線に乗った。そのせいで、毎晩、西武新宿線の鷺宮から西武池袋線の中村橋まで、北へ向かって1時間半、歩くことになった。都心と郊外とを東西に結ぶ2本の西武線の軌道は、ほぼ平行に走っている。僕はその彼女とデートはおろか、手さえつないだことはない。
「わたし知ってるんだからッ」と、彼女は僕とその彼女のことを誰かから告げ口されて知っていたようだった。彼女は、僕の受験を理由に、1か月に1度ぐらいしか会おうとしなかった。素敵な女子が傍らにいれば、電車ぐらい一緒に乗りたいと思うのが人情だろう。それ以上のことを要求するのであれば、僕は出家でもすればよかったのだろうか。
僕は獣医学科を辞めた。失恋した以上、そこに留まる必要はなかった。それだけが理由ではない。生物の解剖実習や、動物と向き合う中で、獣医師という職業の厳しさを実感した。また、6年間の勉強を終えても、国家試験に合格しなければ獣医師になれないという現実にも不安を感じるようになった。
彼女に去られた後にも何人か彼女ができたが、以前のように相手を愛し切ることができなかったように思う。これまでまったく意識していなかったが、今これを書いていてふと思う。僕にはあの失恋がずっと尾を引いているのかもしれない。「トラウマ」になっているのではないだろうか。
恐らくそうなのだろう。ただこれは、彼女をつかまえておけなかった僕にも責任がある。そもそも僕は子供の頃から自分の気持ちを相手に伝えるのが苦手だった。
小倉 一純