◆2024.12.24 映画『新渡戸の夢』工藤慶一氏をWikipediaに立項|或る有志、血と汗の更新

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夏の北海道大学のイチョウ並木。イラストACより

映画『新渡戸の夢』工藤慶一氏をWikipediaに立項

工藤慶一、という人物の記事をWikipediaに立項しました。この1年間、原稿を温めてきました。第2次安保闘争の時代に、母校の北海道大学で学生運動に身を投じた人物です。「全共闘」の時代です。

北大は、僕にとっても母校ですが、さかのぼって第1次安保闘争時代も含め、当時の北大は、全国の学生運動をリードする存在でした。その第1次安保闘争では、北大教養部の唐牛健太郎かろうじけんたろうが、「全学連」の委員長を務めました。時の首相・岸信介のぶすけによる改訂日米安保条約の自然承認を待つ間、国会正門前の機動隊との衝突の最中さなか、圧死した樺美智子かんばみちこさん(当時、東大生)の話はNHKでもたびたび放送されています(NHK:映像の世紀バタフライエフェクト )。唐牛は、この時、警察の留置所に入っていました。もし唐牛が国会前の闘争でも指揮を執っていたら、樺さんは亡くならずに済んだかもしれない、と彼女の父親(学者)が弔辞を述べています。唐牛は、それだけリーダーシップのある人物でした。

さて、夜間中学の話を以前、お伝えしました。それは野澤和之監督の指揮のもと映画になりました。『新渡戸の夢』がそのタイトルです。「札幌遠友塾 自主夜間中学」という夜間中学が、現在、札幌市にはあります。この創設者が、工藤慶一氏です。全共闘時代の経験から(←click:補足へ)、社会の矛盾に目を向け、当時も今も十分とはいえない、夜間中学をつくることに力を注ぎました。生業のガソリン販売会社の会社員(財務・資金管理担当)とは別のボランティア活動としてそれを行ってきました。「われひと、共にある道を探る」というのが、工藤氏の信条です。そんな工藤氏の半生が、北海道新聞にこの夏(2024年9月7日)掲載されました。その中にも登場するこの夜間中学を題材とした、ドキュメンタリー映画が、『新渡戸の夢~学ぶことは生きる証~』なのです。

学校なんて、そう簡単に出来るものではないそうです。最初は、市民会館などを借りて、フリースクールのような形で運営していましたが、現在では、当初よりの念願が叶って、札幌市の公立中学校の校舎内でこの夜間中学を運営しています。映画タイトルの新渡戸とは、北大の前身・札幌農学校の2期生だった新渡戸稲造にとべいなぞうのことです。新渡戸はかつて札幌に「遠友夜学校」という誰でも学べる夜学を創立しました。それは新渡戸の意志を継ぎ、終戦の前年、昭和44年まで50年間続きました。そこには、新渡戸のリベラルな思想が息づいていました。リベラルとは、垣根のない、という意味です。富や名誉には関係なくどんな人でも勉強する権利を持っているという考え方です。

夜間中学づくりにおいては、特に、教育委員会を動かすのが難しいことであったそうです。教育委員会の関与なくしては計画の実現はあり得ません。そこで工藤氏は、論文を書いて、まず「日弁連」を動かし、関係する法律の整備を国家に促し、その成果を携えて、「札幌市の教育委員会」を説得しました。工藤氏には、現在は、大勢の仲間がいますが、人知れず、単独で道を切り拓く場面もあったのではないでしょうか。孤独な自己との闘いです。工藤氏の学生時代は中断せざるを得ませんでしたが、「正義」ということを論じさせれば、周囲の学者や弁護士も一目置く存在となっています。ですから、Wikipedia記事の導入部には「フリーランスの学者」と書きました。

これまでに、上記の関連で、「遠友夜学校」「平成遠友夜学校」「遠友学舎」「藤田正一」「野澤和之」「新渡戸遠友リビングラボ」などの記事もWikipediaに立項しました。細かい仕事なので苦労しました。元来が大雑把でズボラですから。お尻からもちょっとが出ました、。昭和天皇の崩御が僕の頭を過りました。

2025.1.7加筆修正
或る有志
     

【Wikipediaに立項した記事】
・工藤慶一 ⇒ https://w.wiki/CVbS
・遠友夜学校 ⇒ https://w.wiki/7pof
・平成遠友夜学校 ⇒ https://w.wiki/7xFa
・遠友学舎 ⇒ https://w.wiki/8EtR
・藤田正一 ⇒ https://w.wiki/8A$p
・野澤和之 ⇒ https://w.wiki/7r8e
・新渡戸遠友リビングラボ ⇒ https://w.wiki/8Lnk

或る有志

・参考資料|映画や工藤氏のこと https://enyu-research-by-iina.amebaownd.com/

或る有志

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🆕【Wikipediaの執筆について — ルールとか問題点 —】

Wikipediaは、百科事典であるから、文章は純然たる説明文でなければならない。小説やエッセイのように、描写であってはならないのだ。つまり、個人的思い入れや、独自研究大言壮語などの要素があってはならない。
昨年、私こと、或る有志は、大きな記事をいくつも立て続けに立項した(「工藤慶一」を除く上記記事のこと)。Wkipediaのある先輩編集員に、その剛腕が問題となっていると指摘された。
Wikipediaは、基本的には、編集員の皆でつくり上げる百科事典である。ある程度のところまでアウトラインが完成し、ミスのないことを確認したら、とりあえず立項する。それを、各編集員が少しずつ加筆し、大きな記事に育てていく、という理想形がある。
記事の大きさも、あまり冗長なものは、百科事典として相応しくないと考えられている。例えば、文豪「夏目漱石」の記事が既に立項されているが、あれなど、ひとつの記事としては大き過ぎるのではないかという見解もある。人物や事物の要点を漏れなく説明し、しかも、コンパクトなものが理想の記事とされる。

ひとつ問題を感じるところがある。その記事の掲載に関して特筆性があるかないかの判断基準に関してである。
Wikipediaでは、特筆性のある記事は、放っておいても必ず誰かが記述するものである、という考え方がある。よって、執拗なまでにひとつの記事の立項に拘る姿勢に対しては、批判的である。
だが、私が思うに、歴史上の人物など、非常に重要な事項であるにも関わらず、いつまで経っても、誰も立項しない記事があるのは確かである。そういう記事を立項しようとすると、その重要性が理解されず、人物の特筆性なし、と判断されて、記事の立項を妨げられる場合がある。

もうひとつの問題は、関係者が記事を書いてはいけない、ということに関してである。
例えば、ある企業の記事をその社員が書くのは、WikipediaではNGとされている。その企業から経費を支給され仕事としてその記事を書くことは、もっとNGとされている。どちらの場合も、公平で中立な百科全書的な記事を書くことができないからである。
一方、”Wikipedia Town”という取り組みが世界各地に広がっている。街の住人らがメンバーとなり、その街の要所、名所などを、Wikipedia上に立項していくというものである。街の活性化につながるということだろう。
ある街では、さらに、記事として立項された場所や建物に「QRコード」を貼り付け、スマホをかざせば、その場で説明を閲覧することができる、という工夫がなされている。ここまで含めてWikipedia Townという場合もある。
これらの場合、住人らは街の関係者ではないのだろうか。自分の街であるから、少しでもアピールしたいという気持ちが働いてもおかしくない。
結局、関係者であるか否かよりも、記事を書く本人に、モラルがあるか否かの問題であると思う。私が思うに、特筆性はあるものの、マイナーな分野の記事では、関係者以外の誰かが立項するとは考えにくいものもある。

2024.12.26
或る有志

◆映画あらすじ
前半は、新渡戸稲造の時代を描いています。新渡戸の教育理念の紹介です。途中、ガラっと画面が変わり、札幌の夜間中学の場面にパーンします。「9-3=?」こんな数学の授業を、昔ながらの水道方式で教えています。それを高齢の女性が真剣に聞いて、プリントに答えを書き込んでいきます。女性はいいます。「学んでいるだけで楽しい」と。いい映画です。
・新渡戸の夢オフィシャルサイト ⇒ https://nitobenoyume.com/

或る有志

🆕◆工藤慶一氏の言葉(特にこの映画のために記述されたものではありません)

『極北の全共闘―あの時代と私たちの55年―』極北の全共闘・編集委員会、2024年7月31日. に折り込まれた「編集委員会だより<編集後記にかえて>」より抜粋。

今、力を入れていること。
『新渡戸の夢』2024年 映画 野澤和之監督作品
「遠友夜学校」に込めた新渡戸稲造の想いは、現在どう継承されているのだろうか? その答えを探るドキュメンタリーの旅が始まる。「遠友夜学校」の卒業生は誰も生存していない現在、その痕跡を求めて卒業生の子供たちに出会い、父母から聞かされていた「遠友夜学校」の生活を彼らが語り始める。北海道大学にはボランティアサークルとして市民講座「平成遠友夜学校」が開設され、札幌市民に門戸を開いている。また1990年に「札幌遠友塾自主夜間中学」が創設され、遠友夜学校の精神を今に受け継いでいる。教育を受けることができなかった人たちが、学ぶことで自己を取り戻し、夢や希望を叶えている姿が美しい。学ぶことが生きる証と喜びになっている。

或る有志