中山庸子の夢を叶えた暮らしの手帖
— マイヒストリーを彩る写真を交えてつづる自伝的エッセイ —
2025年2月24日初版発行!
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<Facebook@同人誌 随筆春秋 (←click)>への投稿内容
このたび、小学館から、中山庸子先生 (←click)の新刊が上梓されました。
(中山庸子先生は、現在、随筆春秋の指導者のおひとりです)
『中山庸子の夢を叶えた暮らしの手帖』
— マイヒストリーを彩る写真を交えてつづる自伝的エッセイ—
今回は、中山庸子先生の出生や生い立ち、結婚や出産など、これまでの人生が、ポップなタッチのエッセイで綴られています。
それを、ご自宅(戸建て)、その近くにある事務所(レトロ・マンション)、赤城山(群馬県)の別荘など、中山先生の人生とは切っても切り離せない物件や、そこに置かれている様々なモノたちの紹介を通して、厚みを増していきます。本書には、多くの写真が掲載されています。
画像(イラストや写真)と文章、という組み合わせこそ——、中山庸子先生の真骨頂です。先生がまだ駆け出しの頃、このスタイルが出版社の目に留まり、業界デビューとなった経緯があります(本書にも掲載)。
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事務局 正倉 一文

【読後感想】
僕が本書を読んでまず分かったことは、随筆春秋創設者の「堀川とし」は、著者である中山庸子先生の、母親の伯母に当たる、ということです。
つまり中山庸子先生にとって堀川としは大伯母に当たります。ご存じの通り、としの子息が堀川とんこう先生 (元TBSプロデューサー、演出家、映画監督) です。とんこう先生は、我々随筆春秋の成長を生涯、見守ってくださいました。
中山先生はそのとんこう先生から見て「いとこ姪」(いとこの子供) に当たるわけなんですね。今回、そのことを初めて認識しました。中山庸子先生は現在、随筆春秋の指導的立場でいらっしゃいます。
中山先生は、堀川家のルーツである群馬から東京に出て、杉並区の女子美術大学に入学しています。堀川としといい、とんこう先生といい、堀川家の人々は皆、クリエイティブ系なのですね。
実は僕が通った高校は、都立富士高という学校で、女子美の近くにありました。高校時代、ある同級生が何かのことでその女子美の学生に声をかけられ有頂天になっていました。クラスでも毎日そのことが話題になりました。女子美は、僕ら富士高男子の間では、憧れの存在でした。
年齢から考えても、僕が富士に通っていた頃、中山庸子先生が女子美の学生であったことは、ほぼ間違いのない事実です。先生は不肖正倉から見て5歳年上です。
本書には、中山先生の現在のお住まいや事務所、別荘などの物件について記述されています。そこに置かれたモノたちについても、面白く興味深く描かれています。
僕自身も建築フリークで、大学受験では某国立大学の建築学科を受験したほどでした。ただし、建築学科ではデッサンが必須科目と聞いてビビッていました。高校時代、デッサンなんて描いたことがありませんでしたから。結局試験は不合格となり、ある意味、ホッとしたのをよく覚えています (汗)。
先生のお住まいも、近くの事務所として使われているマンションの一室も、双方ともに中古物件であるそうです。そこを先生が知恵を絞りながらリフォームし、居心地のよい空間を手に入れたのだとか。そういう経緯を拝見しますと、だからこそ愛着もわくのだろうな、と思いました。
72、73ページの見開きには、東京のお住まいにある書斎の写真が掲載されています。オリジナルと思われる木製デスクの前には、ハーマンミラー社のアーロンチェアが置かれています。今買えばざっと20万円は超える代物です。
デスクワークが中心の作家やIT技術者の間では御用達のチェアとして有名です。腰痛防止のためのランバーサポート (腰部の出っ張り) も機能として元々付いているはずですが、先生の書斎にあるものには、ハンドメイドと思われる、シックな柄のランバーサポートが取り付けられています。
100ページに写真でも紹介されているのですが、お住まいの冷蔵庫に、イラストレーターであるご主人の書かれたメモが貼ってあります。買い物をするおじさん風のウサギの絵が添えてられていて、「ワオンに行ってきます。」と書かれています。ワオンは実はイオンの間違いなんです。ワオンは、ご存じの通り、イオンの電子マネーですよね (笑)。
介護の末、亡くなられた先生のお母様は昭和4年生とか。正倉の母親は昭和3年生で在宅介護中です。そんなこともあり、とても身近に感じることのできる、素敵な1冊でした。
事務局 正倉 一文

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