堀川とんこう先生とドラマ『岸辺のアルバム』
堀川とんこう先生(母・堀川としが「同人誌 随筆春秋」創設)は、TBSの社員でした。定年退職後には、演出家、映画監督(『千年の恋 ひかる源氏物語』2001年 配給東映)として活躍しています。
TBSでは、若干40歳でプロデューサーとなり、すぐに関わったのが、ドラマ『岸辺のアルバム』でした。プロデューサーは、番組制作における総責任者で主な仕事には次のようなものがあります。
- 企画の立案
- 予算集めや管理
- スタッフの人事
- 配役の決定
- スケジュールの決定
- プロジェクト全体の管理
- 想定外のトラブルへの対処
仮に役員会議で番組が中止と決まった場合でも、その重役陣に向かって決定の撤回を求めるのは、総責任者であるプロデューサーの仕事です(もちろん『岸辺のアルバム』ではそういうことはありませんでした)。プロデューサーはそういう重責を担っていましたので、40歳というのは異例の若さでした。
本(脚本)を採用するのもそんなプロデューサーの仕事のひとつです。
脚本家・山田太一先生の『岸辺のアルバム』は、当時は、どこにも買い手がつかなかったのだそうです。その頃のTVドラマ、特にファミリードラマは、明るくて爽やかなものが好まれました。
『岸辺のアルバム』は、内容的には決して明るくはありませんし、何よりも、八千草薫演じるサラリーマンの妻が不倫をしてしまう話です(その相手役が、竹脇無我)。むしろ買い手が見つからないのは当然のことでした。
堀川敦厚P(Pは、プロデューサーの業界での略称。敦厚は、とんこう先生の本名)は、まったく新しいタイプのTVドラマを全国放送で流すことに、テレビ局員人生をかけていました。その結果はいわずもがなです。
役者・国広富之とのエピソードもあります。当時、大学生だった国広富之さんを、八千草薫の息子役(受験生)として採用したのも、堀川Pでした。撮影の合間、多摩川の河川敷で、自信の持てない国広さんを愛情のこもった強い言葉で叱咤激励したのもこの堀川Pです。ある意味、堀川Pは、役者・国広富之の育ての親でもありました。国広さん自身、このことをあるインタビューで述懐しています。
※番組は脚本家・山田太一先生 没後1年にあたって昨日(2024.11.25)より放送されています。
2024.11.26
随筆春秋事務局 正倉 一文
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