西澤貞雄

♦西澤貞雄の部屋4

酒を一緒に飲んでみたい相手を見つけたが……

 

モグラのあな野郎

 

日課の一つにウオーキングがある。コースはその日の気分で決める。

この日は猛暑でウオーキングどころではなく、その上、左膝が痛い。明日にでも、整形外科に行って、膝にヒアルロンサンを注入してもらおうかと、考えているうちに少し和らいできた。ありがたい。夕方近くになると、曇が広がり風も出て涼しくなった。チャンスだ。早速、三キロほどのコースを歩くことに決めた。

コースは、S川土手の西側遊歩道を、川下に向って歩き北街道(鎌倉時代の東海道)に出て折り返し、今度は東側の遊歩道を歩き、家に帰ることにした。

折り返した東側遊歩道を、百メートルほど歩くと、十メートルの長さで十二、三段のコンクリート製階段が、遊歩道から水辺まで続いている。

その階段の見える辺りに来た時だ。階段の最下段の踊り場で、友人のスギさんが、黄色いタオルを鉢巻きにして、黒っぽいTシャツ、黒の短パンで、対岸を見ながら元気そうに体操をしている。

私が近づいても分からないようで、熱心に続けている。体操は両手を前後に振りながら、足の屈伸運動に変わった。
私は彼の後ろ姿に向かって、エールを送ろうと両掌をメガホン代わりにして、

「ガンバレー ハイシニアの若いしゅうー」

と、げきを飛ばした。

スギさんは気が付き、振り返って右手を挙げて挨拶をした。

「アンタもやれよ、ビールがうまいぞ」

「オレはビールじゃない。発泡酒だ」

と言い返すと、スギさんは笑って体操を続け出した。直後であった。腰つきが不自然に悪くなり前のめりになったとたん、水深数十センチの穏やかな流れに倒れこんだ。

彼は慌てて、もがきながら立ち上がろうとしたがダメらしい。今度は体勢を上流に向かって座り込む。それはガマガエルを連想させるようなポーズであった。

私は驚いて、スギさんが、脳梗塞か、心筋梗塞あるいはギックリ腰にでもなったのかと思った。若干痛みのある膝をかばいながら、急いで階段を駆け下りた。

「大丈夫か」

と大声を出して川に入ろうとした。

その心配はなかった。スギさんは照れくさそうに私を見て、ぎこちなく立ち上がった。

このアクシデントは、私にも責任があるようで申し訳ない気持ちであった。

スギさんは岸に上がると、衣服からは水が流れて、階段のコンクリートに水たまりをつくった。そしてシューズを脱いで、溜まった水をこぼし履きなおし、鉢巻きを取って顔を拭いた。

「まいったなー、急に腰が吊ったようになってあのザマさ。今日は、仏滅か、三隣亡さんりんぼうか」

しょぼくれて言った。

私はその姿を見ていると「天中殺てんちゅうさつ」かもしれないと言おうとしたが、気が引けてやめた。

「済まなかったね。いきなりうしろから、気合を入れたのが、この結果になってしまって」

これが、私のスギさんに対しての精一杯の謝罪の言葉であった。

「そんなこたーないよ。俺の体が歳を取ったって言うことさ。まさかあそこでギックリ腰になるとはなー」

と言いながら、その程度で済んだのは、普段の体操のおかげだ。と付け加えた。

私と肩を並べて歩き出すと、濡れたシューズが、ぐちゅぐちゅと気持ち悪い音をたてた。

私たちが、蝉しぐれの桜並木を歩いていると、桜の幹に寄りかかって、汗をぬぐっているシニアの男性がいた。彼は私たちに気がついて笑顔をつくり、杉さんを見ながら片手を挙げた。スギさんも手を挙げてこたえた。スギさんの知り合いらしい。

彼は私たちに近づいて、スギさんの全身をしげしげと見た。

「オイ! それ全部汗か? それとも暑くて水をかぶって歩いているのか」

ニタニタと笑って、つまらないジョークを言ってから、大声を出して楽しそうに笑った。

スギさんは、今までのいきさつを、彼にかいつまんで話すと、噴き出すように笑いだし、

「見たかったなー一足遅かったか。アンタも年を考えてさ、妙なころで、変なパフォーマンスをやるんじゃーないぞー」

意見だかちゃかすのか、分からないことを言ってまた笑った。

スギさんはむっとしたようで、私を見ながら肩をすぼめた。

彼と別れて私たちは歩き出した

「あいつ、オレの気持ちも分からずに、言いたい放題言って、あのモグラのあな野郎が」

とスギさんは忌々いまいましそうに語尾を強めた。

「モグラの穴ってなんだ」

「モグラの穴ってさ。いくら水をつぎ込んでも一杯にならないずら(でしょう)。それと同じで、アイツにはいくら酒を注いでやっても、しれっとして飲んでいるので、仲間からさ、あだ名をつけられたんだ」

そんな話を聞いているうちに、私は興味を感じて一度、彼と飲んでみたくなった。でもその時はもぐらの穴でなく、ミミズの穴ぐらいになっていれば、幸いである。

2022年11月17日掲載

西澤貞雄