脳は助っ人マン?
私は時として、私という一個人の中にもう一人の人格がいるのではないかと感じることがある。何者なのか。二重人格とか多重人格に類するものなのだろか。多分、それとは違うように思うのだが、他の人にもこんな現象があるのだろうか?
私の中のもう一人の人格、性別をいうと、男性のような気もする。かなり力強く自信に満ち溢れている。そして知性的だ。
日常、様々なことがある。時として自力では解決できそうもない厄介な問題を抱え込んでしまう場合もある。
もう一人の人格はこちらが考えあぐねているとインパクトの強い示唆を送ってくる。なおも自信を持てず躊躇していると、お尻を叩くように結論を急がせることさえする。
男前かしらなどと私は厚かましいことを考えたりもするが、心の中の存在なので姿など見えない。私は彼の存在を精霊と呼んで一目置いている。
今、私は七十歳だが、彼が私の心の中でいまのような形をとって現れたのは十年ほど前からだ。だが当時はいまのようにインパクトは強くはなかった。物静かで影からそっとこちらを見ながら応援してくれるような印象だったように記憶している。
もしかしたら今の精霊とは別の方なのかもしれない。十年前は性別を感じることはなかった。ただ、私の思考能力を助けてくれていた。たとえばこんなことがあった。私は子供の頃から本を読むのが好きで、それが現在まで続いているのだが。
二十三、四年前、東京でベストセラーを記録した『脳ってすごい!』(ロバート・オーンスタイン+リチャード・F・トムソン著)という、二百ページからなる絵で見る科学書が発売された。もちろん絵だけではなく活字による説明が主だ。
当時、四十七歳だった私はこの本の題名に興味を持った。書店で帯を読み、ページを繰ってみた。そして前書きを読んだ。(うん、確かにすごい)、すかさず購入を決めた。自分の能力も顧みず、ためらうこともなく買っていた。
この書の前書きにもあったが、二十三、四年前にあっても脳研究は世界的に躍進していたとはいえなかった。だから一般教養書として『脳ってすごい!』が書店に並んだ時はまことに目新しいことだった。好奇心優勢で私は思わず飛びついてしまった。冒険心からである。
さて、本を手に高鳴る心。そもそも脳ってなにもの? 脳はどんな作りになっていて、人体でどんな働きをするの? 脳内事情に私も関わってみたい。成人の人間なら誰もが首の上に掲げている1300グラム相当の物質の正体は何?
でも私はここで『脳ってすごい!』で学んだことを書き連ねようとは思っていない。その本をわずかながらでも理解できるに至った経緯と、それを助けてくれた「助っ人マン」の役割をしてくれた、精霊との関わり合いを書きたいと思う。
さて、本書に入って三十数ページほど読み進んだ時点で睡魔が甘い言葉で誘惑をしかけてくる。デッサンや絵や図解も多いのだが、馴染みのない医学用語等がいたる所に散りばめられている。辞書を片手に睡魔と闘い続ける。
睡魔は囁き続ける、「どうだい難しいだろ? 文学書が好きなだけのお前さんにはまぁ、理解できないよ。無理なこったー。もう、寝ておしまい」、とまあ、こんな具合に。でも私は最後のあがきを続けながら難攻不落な本書に挑み続けた。しかし、ついに睡魔の一本勝ちで私はあえなく第1ラウンドを落としてしまった。
それからしばらくは本書を開く気にもなれず手も触れなかったのだが、ある日夢を見た。誰かが耳元で囁いている。「あの本をあのまま放っておくの? もったいないことだね。あれを理解できたら、君の人生も根本から変わるかもしれないのにねー…」、とまで言ったかどうか記憶は定かではないが、まぁ、そんな内容だったような気がする。そこで力を得た私は再び本書を開いてみた。
第2ラウンド開始だ。また最初から読み始める。前回より少し明るい兆しを感じると思いながら、辞書を片手に読み進む。読書というより学習である。でもだんだん疲れてきた。本の半分くらいまできた時、前回と同じ壁にぶつかった。睡魔の甘いささやきが忍び寄る。
(ダメ、今回はそんな誘惑には負けないわ。邪魔しないでちょうだい)と、私は睡魔を突き放す。睡魔はそんな私をせせら笑っている。無駄なことだといわんばかりに。不甲斐なくも私は第2ラウンドも落としてしまった。
私にはやはり無理だわ、こんな専門書に近い本は、とついに弱音が出た。諦めようかどうしようかと心は乱れる。悔しさが残る。去りゆく恋人の冷たい背中を追うように、私は未練をにじませた。
もう、私の能力ではこの本は無理かな…そんな思いの内に三カ月、ツンドク状態が過ぎていった。私の本書に対する未練な心は演歌の世界をさまよいながら、少しずつ諦めの心境に傾いていった。
しかしある日の午後、部屋から見える山の風景を見ていた時、あぁ、もう一度、読んでみようと何の脈絡もなくそんな思いが湧いてきた。三度、最初から読み始めた。すると、あら不思議、半分くらいまで理解しながら読み進んでゆけるではないか。その後も読めた。
我ながらびっくりした。諦めたはずの恋人が手を上げながら笑顔で戻ってくれたときの喜びってこんなものだろうか。
一度読み切って、最初から通して再び読んだ。読み切ったときの達成感と喜びは半端じゃなかった。
私はこの時、自分がこれを読みたいと強く思い、繰り返し努力する時、自分の中の脳が助っ人マンの役割を果たしてくれるのだと信じるようになった。だから、以降、難しいと思える本でも、簡単に放棄しないことにしている。
脳って本当に何者なのだろうと思うのである。発生生物学、神経解剖学、神経科学‥さまざまな分野での難しい研究は私には難解だ。でも自分の脳とは仲良くしたい、なんでも相談したい。本の読解に限らず人生の難問が立ちはだかるとき、私の脳はいつも助っ人マンとして働いてくれる。脳、そして精霊の存在。
私は常にこの助っ人マンに深い敬意の念を持ちながら、さまざまなことを相談し寄り添いながら日々を生きている。
了