今時の小説家になるには!?
― 昨今の業界とはどんな感じになっているのか ―
【ご注意】
このコンテンツは、ある番組を視聴した際の覚書程度の内容です。その内容の裏をとったわけでもありません。また、私、正倉の主観が多少なりとも入っています。その点、お含みおきください。なお、「1. 覚書的まとめ」は、「3. メモ書き一覧」を総括したものです。紙面末端の「4. 考察的あとがき」に、正倉の感想を記述しました。
【事前ガイド】
ここでは文学を、ラノベ(ライトノベルとも|ティーンズ中心のネット小説)、左記以外のエンタメ小説(直木賞なども含む)、純文学(芥川賞なども含む)に分けて考えています。そして、語られているのは主に純文学以外の話です。映画や動画、マンガ、音楽にも触れています。メイン・パーソナリティーは直木賞作家で、小説家になる前は広告代理店にコピーライターとして勤務していました。そういう意味では、クリエイティブ業界全体を俯瞰できる人物だと感じました。
目次
- 覚書的まとめ (番組内容の覚書。以下のメモ書き一覧を元にして記述したもの)←(CLICK!)
- 添付図説 (映画や動画・マンガ・ライトノベル・エンタメ系小説などの構成要素)←(CLICK!)
- メモ書き一覧 (番組を視聴しながら取ったメモ書きの一覧)←(CLICK!)
- 考察的あとがき (番組全体を視聴して僕自身が思ったこと)←(CLICK!)
1. 覚書的まとめ(番組内容の覚書)
今は、小説にしても、マンガにしても、「キャラ」と「設定」の組み合わせが最も重要です(下図ご参照ください)。「設定」は「世界観」ともいいます。エンタメ小説でも、「キャラ」と「設定」の組み合わせの妙が一番のポイントで、はっきりいって文章やストーリーは二の次です。
ストーリーに関しては、マンガなどもそうですが、「これってあの作品のあそこで見た場面と同じじゃん」ということは度々あります。今は「使い回し」の時代。それがクリエイティブの名に恥じるなどという風潮はもうありません。
ですから、ちょっとセンスのいい奴なら、小説も映像もすぐにいけるんじゃない、という簡単な時代になりました。下積みの必要な時代ではありません。
一方、漫画家がマンガだけを読んで、マンガを描くようになりました。小説も音楽も同様です。それでは、独創的な本当に面白いものを作ることはできません。
そんな背景もあり、今のクリエイティビティはもうピークを過ぎてしまっています。それでもビジネスとしては大きなものになっていますから、出版社など業界人は、今のうちに、稼げるだけ稼いでおこう、という腹積もりだと思います。
ただ、純文学は別です。どんなものを書いたらいいのですか、と尋ねた瞬間にもうそれは新しい分野ではなくなってしまいます。純文学を目指す人は、悩んで悩んでそれを見つけて、芥川賞なりを狙ってください。自分の方針を曲げない方がいいと思います。それと、純文学には、「設定」(世界観)はありません。「キャラ」 ‐ 「ストーリー」 ‐ 「文章」の3本立てです。
なお、本屋大賞の受賞の決め手は、文章でもストーリーでも設定=世界観でもありません。もっぱらキャラです。書店員は給料が高いとはいえませんから、女性が多いのが現実です。そんな彼女らは、キャラにひたすら優しさを求めています。かつての村上龍や、亡くなった西村賢太が、本屋大賞にノミネートされる図など想像すらできません。(笑い)
ちなみに、ライトノベルの分野では、出版社は現在、TLの作家を熱心に探しています。TLは、ティーンズ・ラブ。
エンタメ系を中心に話をしました。純文学を詳しく語るつもりはありません。
2. 添付図説(番組内で使われたものを模写)
◆ 映画や動画・マンガ・ライトノベル・エンタメ系小説などの構成要素
3. メモ書き一覧(番組を視聴しながら取ったメモ)
◆クリエイティブもピークを越えてレベルも下がっているから、そこそこセンスのいい人は、小説も映像もすぐにいけると思う。今はそんな時代。下積みという言葉も馴染まない。
◆TikTokの素人短編映画が最近、目に入るようになってきた。こんなのが流行するようになったら、今のクリエイティブもおしまいだ。
◆今は、大衆のレベルが落ちている。物語を理解するリテラシーも以前より落ちている。だから、最近の動画作品は、タイトルからして説明的で長いし、登場人物の独り言のようなストーリー解説も特徴的だ。総じて視聴者にやさしい作りとなっている。
◆クリエイティブのピークは越えた。業界もそれは分かっている。ただ、ビジネスとしては大きくなっている。業界は大人だから、稼げるうちに稼いでしまおうという腹積もりなのだろう。
◆現在のエンタメ系は、「キャラ」と「設定」の組み合わせの妙が一番肝心なところ。文章が上手に越したことはないが、二の次。だいたいね、文章なんて、10年単位でしか上手くなれないよ。ストーリーも、それほど重要じゃない!
◆例えば、漫画の世界でもね、『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』が、やはり、「キャラ」&「設定」の組み合わせの妙で成功している。2つとも少年ジャンプの看板漫画だよね。だけど――皆も知っているだろうけど――2つとも漫画が下手だといわれたよねッ! これって、小説でいえば、文章が上手くないのと同じことッ。
◆昔の小説家はインテリ。西洋の歴史や思想を勉強していたから、それを上から目線で庶民に伝えた。「きみたちはこう生きていかなければいけない!」。だから、偉そうだったんだよね。
◆今の小説家(エンタメ系の場合だけど)、下手から出る、サービス業のようなものだよね。「こんな風で面白いですか!?」。「ここも丁寧な説明でサービスしておきましたよ」。今のエンタメ系の視聴者は、物語解釈のリテラシーも低いから、かなりやさしく説明してあげないと、話について来られない。
◆昔は、楳図かずお、とか無茶苦茶面白かったよ。今よりもずっと面白かった。でも、最近の視聴者にはその面白さが理解できないと思う。行間も読めないし。
◆昔ながらの小説家、つまり純文学の作家は、「本屋大賞」の受賞対象にはならないよ。たとえば、村上龍なんか思い浮かべてみても、彼が「本屋大賞」を受賞する図すら想像できない。
◆こんなこというと悪いけど、書店員というのは給料が低いから、女性が多いんだ。女性って、やっぱり、優しいのが好き。村上龍の小説には暴力が出てくるもんね。
◆本屋大賞つまり女性の書店員さんが選ぶ決め手は、ずばり「キャラ」なんです。それも「優しいキャラ」。
◆今はず~っと、エンタメ系の話をしています。小説で、エンタメ系というと、ラノベつまりライトノベルズと、直木賞受賞作をはじめとした一般のエンタメ小説を指します。
◆ラノベは、ティーンズ(10代)の文芸だよね。僕のデビューした25年前は、「設定」っていうのはなかった。これはいい換えると「世界観」だね。「世界観」という言葉はよく使う。
◆その「設定」と「キャラ」の組み合わせの妙が、売れるラノベの決め手。文章なんて二の次。ストーリーも同様。
◆純文学でも、ストーリーに重点を置かない作家はいました。ノーベル文学賞の川端康成もそうです。新聞連載をはじめる度に今度は波乱万丈の物語を書きます、といっておきながら、いつも失敗していた。でも、大枠が決まり、書き始めると、ものすごく微細な部分にまで筆が入り、素晴らしくシットリとして、香り高い、繊細な作品が出来上がってくる。川端康成はシットリ派の作家なんですね。
◆では、純文学って何!? 純文学っていうのはさぁ、――私から見える世界の在り方、とか、――極私的なことを書く文学なんだよね。
◆小説家になりたい人はメチャメチャ増えている。今、「小説家希望者激増中!」。僕のデビューは25年前だったけど、その頃の登竜門つまり新人賞の応募者は、300人から400人ぐらいだったよ。
◆今はさあ、新人賞の応募者って1000~2000人ぐらいにもなっているんだよ。一番多いところでは、5000~6000人。
◆今、小説家はすぐなれる。下積みなんていらない。➀何を書きたいか。②小説で暮したいか。この2点さえ決まっていれば。
◆純文学の場合は、人に聞いてはだめ。新しい分野を開拓するのが純文学の真骨頂。人に尋ねて回答を得た段階でもう新しくないよね。純文学は一生自分で悩むのが仕事です。
◆エンタメ系は、ミステリー、ファンタジー、ホラー、恋愛、青春、といろいろあるよね。
◆ラノベつまりライトノベルズは、ティーン(10代)向けのネット小説だからね。異世界ファンタジーとか魔界転生とかいろいろあるじゃん。「エブリスタ」、「note」、「小説家になろう」、「魔法の i ランド」などなど投稿サイトも充実しています。目指すのだったら、これ以外のエンタメ系をすすめるよ。
◆現在では、新人賞をとった人の10分の1だけしか生き残っていけない。
◆小説家になるには、年齢は関係ないね。70歳で小説を書き出して80歳まで10年間、素晴らしく活躍した、なんて普通にあることだから。
◆今は、こんな時代だから、短編が主流か、なんて考えることもあるだろうけど、現実には、短編は売れない。新人賞も、文藝春秋の「オール読物新人賞」が100枚で唯一短編を募集している。
◆それと今は、出版社への持ち込みはもうないね。僕が覚えている一番最後は、確か、京極夏彦だったと思うよ。あの方は持ち込みで小説家への道が開いた。今では、出版社に持ち込みしても、ウチの新人賞の方にご応募ください、っていわれると思うよ。
◆どこの出版社の新人賞に応募すればいいかっていうと次の5社。➀文藝春秋 ②講談社 ③新潮社 ④KADOKAWA ⑤集英社、これらのエンタメ系新人賞がいいよ。
◆というのはね、文庫本に強い出版社じゃないと、小説家にはなれないんだよ。僕は、朝日新聞の朝日文芸という純文学の新人賞に応募して落ちたんだ。でもこの新人賞をとって小説家になった人はひとりもいない。結局、朝日新聞も文庫は持っているけど、まだそこまで強くない、ということだったんだな。
◆それで、オール讀物推理小説新人賞をとったんだ。それが僕のデビュー作なんです。だから僕はエンタメ系の作家。朝日文芸を落ちてよかったと思っている。
◆長編か短編かの続きなんだけどさぁ、短編で賞をとったとするじゃない。でも、その短編1本じゃ1冊の本にできない。だからまあ3本は必要。すると出版社はさぁ、2作目、3作目をよろしくお願いします、ということになるじゃん。でも、多くの新人がその2作目、3作目でポシャルのよ。それでジ・エンド。
◆2作目でポシャルにしてもさぁ、1作目つまりデビュー作を長編で書いておけば、それ1本で1冊にできるわけでしょ。つまり1冊は本を出せるわけよ。だから僕は長編でなければ小説家として売り出せないよ、といってるわけ。
◆繰り返しになるけど、その場合、やっぱり文庫本が売れるんだなぁ。単行本は高いじゃん。でね、その文庫本に強いのが5社なわけよ。➀文藝春秋 ②講談社 ③新潮社 ④KADOKAWA ⑤集英社、分っかるかなぁ。
◆この5社でさ、ざっと考えても25の新人賞があるよ。特にKADOKAWAなんて新しいことにも対応しているから、ものスゴイ数の新人賞というか登竜門を用意しているわけ。それも入れたら25では到底足りないね。もっとたくさんの選択肢があるっていうことさ。
◆文藝春秋では、オール読物新人賞、松本清張賞なんてのがあるね。新潮文庫だったら、新潮ミステリー賞、日本ファンタジーノベル大賞とか。
◆講談社では、小説現代長編新人賞、江戸川乱歩賞、メフィスト賞なんかがあるよ。集英社では、小説スバル新人賞、ジャンプ小説新人賞、コバルト短編小説新人賞。それにさっきもいったけど、KADOKAWAは、数え切れないくらいたくさん新人賞を持っている。
◆実は今も短編集は売れていない。「ひとつの世界を見せ切ってくれよ」という大衆からの要望は多いね。結局、小説家になるんだったら、長編ということになる。
◆クリエイティビティはすでに頂点を超えている。TIKTOKのショートドラマが流行するとなったら、もうおしまいだね。素人の低レベルの映画だよね。しかし結局、こういうものが、これからは流行ってくるのではないかなッ!
◆今はもう、クリエイティビティの一番高いポイントは越えた。小説も映画も音楽もそうなっているね、今はね。小説ももうクリエイティビティが落ちているし、ハリウッド映画も駄目になっているし、マンガも昔より、正直いって、今の方がつまんない。
◆でも、ビジネスはものすごくデカいものになっているからね。遠からずマンガも落ちていくと思う。どんなにビジネスが大きくなっていても結局ね、クリエイティブのピークは越えちゃっているから。それまでの間、稼げるだけ稼げばいいと思っているから。日本の大手出版社なんかはね。
◆動画の配信もこれからピークアウトしていくから。ハリウッドが落ちて、動画配信が落ちて、ユーチューブみたいなものも落ちた後に、さあ何が来るのか!?
◆恐ろしいものがひとつあるよ。TIKTOKの素人がつったショートドラマ。ものすごくレベルが低いよ。
◆こうやって、リテラシーが落ちていくと、恐ろしい世の中が来るな、という気がする。これから我々が、デジタル時代の縄文人になるのかな。(笑い) 弁舌の立つ(ヒトラーのような)人間が今の我々を扇動すれば、あっという間に、日本なんか独裁国家になっちゃうかもね。今の若い子たちには「行間」が読めないから。
◆今の漫画家はマンガしか読まない。これだから駄目なんだね。マンガで面白いものを書くには、他の分野のどんなものでも勉強しないと、面白いものはかけない。赤塚不二夫が、デビュー前に、手塚治虫から「まんがからまんがを学ぶな。一流の音楽を聴きなさい、一流の映画を観なさい、本を読みなさい」といわれたという逸話がある。それは音楽も小説も同じ。
4. 考察的あとがき
僕らは、随筆春秋という学校(道場)で、純文学のエッセイという分野を勉強している。そこでは文章の上達が目的だ。
ところが、この番組を視聴して驚いた。最近では、その文章は二の次で、まずは「キャラ」や「設定」の組み合わせの妙こそ、成功のカギであるという。
2チャンネルのようなちょっとしたお遊びの掲示板では、恐らく若い人だろうが、純文学をつかまえて「オワコン」と笑い飛ばしている。「オワコン」とはつまり「(もうすぐ)終わってしまうコンテンツ」のことである。
だが、番組の直木賞作家の説明を聞くと、むしろ今時の動画配信時代のエンタメ系コンテンツこそ、先細りのオワコンではないかと思った。
ある芥川賞作家は、今時の純文学を――時代遅れのプラットフォームに最新のコンテンツを載せたようなもの――と自らの立場を揶揄している。だからといってもうオワコンだと諦めているわけではないらしい。作家は、芥川賞の選考委員にも名を連ねている。
エッセイは、小説に比べて短編である。書き溜めて時系列に並べれば、私小説として1冊の本にすることもできる。現にそういう書き方をする作家もいる。
僕らは商業ベースに乗っていないからこそ、ある意味、純粋に文学を追求できるのだ、という秘めた自負を持っている。人前で披露すると、負け惜しみと捉えられかねないので、ここだけの秘密にしておきたい。
正倉 一文
制作:正倉 一文