◆2024.12.01 DTPって何?

更新と不具合の履歴
DTPオペレーター(イラストACより)

DTPって何なの? デスクトップ・パブリッシングのことです。直訳すると「机上出版」。思った以上にハイグレードで高度な仕事です。

昔は、「印刷工」といわれる職人さんがいました。工程がたくさんありましたが、その工程ごとに専門の職人さんがいたのです。その中には、「植字工しょくじこう」といわれる、植字専門の職人さんも肩を並べていました。「文選工ぶんせんこう」とも呼ばれます。これはビレット(金属活字ともいう。四角柱の先に文字が凸に彫られている。実は、製鉄業とくに鋳物の世界で四角柱の製造物をビレットと呼んでいます)を、木製の四角い型枠などの中に並べ、組み上げる作業をする職人さんです。その作業のことを「植字しょくじ」といいます。植字の結果、印刷紙面のイメージ通りにでき上がった状態を「組版くみはん」といいます。下の写真(列車の切符を印刷するための組版をご覧ください。これが組版です。この活字面にインキを塗って、それを紙に押しつけ転写して印刷します。これを、「凸版印刷とっぱんいんさつ」または「活字印刷かつじいんさつ」といいます。有名な印刷会社の社名と同じですね。今は「印刷」の文字がとれて「凸版(表記名は、TOPPAN)」になったようですが。

※ビレットは鉄鋼業界での呼び方。印刷業界では金属活字と呼ばれる。それを木箱(文選箱とも呼ばれる)などに印刷紙面のイメージ通りに並べて組んだものを「組版」という。それにインキを塗り紙へ転写して印刷する。(画像は、クリック拡大↑)

職人さんですから、皆、矜持きょうじ(至高のプライド)を持っていたりして、若造のいうことなどには簡単に首を縦に振りませんでした。印刷会社の若い営業さんが納期短縮をお願いに行っても、けんもほろろにあしらわれることなど、たびたびであったといいます。また、工程がたくさんありましたから、納期短縮といっても、対峙するのは、ひとりの職人さんとは限りませんでした、汗。

そんな業態が、1980年を境に変わり始めました。転機となった主なイベントは、朝日新聞社の新社屋の竣工でした。それまで、有楽町にあった朝日新聞の本社が移転して、築地に新しい社屋が完成しました。

旧・有楽町本社では、職人さんがいて、型枠に植字をして紙面をつくり、それにインキを塗って、回転式の輪転機を使って、新聞紙に印刷をしていました。先ほどもご紹介した凸版印刷です。新聞社というのは、同じ社屋に中に必ず工場も持っています。工場では重量のある機械を設置するので、地下が多いのかもしれません。

その本社が築地に移ったのを機に、印刷の職人さんは、配置転換になったり、辞めていったりしました。職人さんたちが行ってきた工程が、すべて、1台の端末(コンピューター)にとって代わられたからです。

ちなみに、そのころのDTP用コンピューターは、マッキントッシュ(アップル)の独壇場でした。余談となりますが、マッキントッシュの特長は、画像処理能力が非常に高いということでした。1995年にWindows95というOS(オペレーティング・システム)が発売され、それがインストールされたパソコンも発売となりました。そのころのWindowsパソコンの画像処理能力は、マッキントッシュとは比べ物にならない程、低スペックでした。

本筋に戻ります。朝日新聞・築地本社が業務を開始したその日、東京は大地震に見舞われました。都心のビルが壊れるほどではありませんでしたが、棚のブラウン管テレビが落ちる位の揺れではありました。かくいう正倉もその地震を東京でリアルタイムに経験しています。かなり驚きました。現在でも、その時ほど東京が揺れたことはなかった、と記憶しています。

折しも、朝日新聞・築地本社では、最新鋭の上水道設備を導入していました。それまでの水道管はほとんどが鉄製でそれに亜鉛メッキを施したものでした。ですから、古くなると赤さびが出て不衛生となったり、その錆びが原因で管に穴が開いてしまったりと、いろいろな問題を抱えていました。

築地本社が導入したのは、現・日本製鉄(旧・日本金属工業)のステンレス配管システムでした。要は、水道管が、これまでの鉄製からステンレス製に替わったということです。

ステンレスは、製造時に、鉄に、ニッケルとクロムという金属を添加物として混ぜ込んでつくった、鉄とは異なる金属です。鉄に比べて非常に硬いので、切削性が悪く、それまでは、ステンレスで水道管をつくるのは難しいとされていました。さらに、錆び難いですから(ステンレスという名称は、ステイン・レス→錆びのない、から由来する造語)、不衛生になることもなく、穴が開いてしまうことも、滅多にないわけです。

ところが、そのステンレス配管システムが、建築施工上の不備から大地震で破損してしまい、最新性の端末がすべて水浸しになってしまいました。これでは、築地本社初となる新聞を臨時休刊とするしかありませんでした。夕刊であったと聞いています。

そこで朝日新聞では、急遽、職人さんたちを呼び戻し、旧・有楽町本社の印刷工場で紙面を刷り上げ、なんとか臨時休刊を免れました。今聞いても冷や汗の出るエピソードです。私事ですが、正倉は数年後(1984年)に、その製鉄会社の社員となりました。

というわけで、この1980年が、印刷の世界が、多くの工程を抱える職人さんたちの仕事から、1台のパソコンで行われる机上の仕事となる、一大転換点なんです。 
  
印刷の職人さんの他に、挿絵の漫画やイラスト、見出し文字のレタリングなども、外注先の美術系出身の社員が新聞社内に机を持ち込んで一緒に仕事をしていましたから、その人たちも、仕事を失うことになってしまいました。仇敵は端末(コンピューター)です。

以上が、デスクトップ・パブリッシング、DTP事始めでした。新しい職業誕生には影の部分がつきまとうのもこの世の常ですね(涙)。

なお、DTPの次工程は、印刷製本ということになるわけですから、DTP担当者も印刷製本業なのかと問われれば、確かに同業者ではあります。ただ、上下の別こそないものの、両者は、ちょっと分野の異なる仕事ではないでしょうか。

例えば、ホームページをつくるプロがいますよね。彼らはその出身から大別すると次のようになります。

・システムエンジニア

・ウェブデザイナー

・DTP

システムエンジニアは、プログラムの開発を行なう人です。ウェブページをこしらえるにも、HTML言語、CSS、javascript、PHPなどのコンピューター言語(プログラム)を扱います。
ウェブデザイナーは、実は正倉は知らないのですが、デザインという言葉から察するに、ホームページのデザインや、アイコンや文字とか紙面構成など、そういうことのプロなのでしょうか? 違っていたら済みません。
一方、DTPは次工程が印刷と製本ですから、出来上がりの成果物に対してシビアな目を持っているわけです。それに、DTPの中でも意欲のある人は、コンピューター言語からサーバーの技術やFTP、メーラー、ウェブフォントに至るまで、かなりの博識で技術の高い人が多いような気がします。

そういうわけで、ホームページ制作のプロの中では、このDTP出身者が一番重宝がられている、という記述をよく目にします。そんな背景もあり、DTPというのは、「エンジニア」とか「IT関係」などといった方が似つかわしいように思っています。

以上、DTPって何? でした。おあとがよろしいようで(^^♪

     

正倉 一文