近藤健「夏が……、こなかった」

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「夏が……、こなかった」

 

 平成二十三年(二〇一一)三月、それまで二十八年暮らした東京を後にし、室蘭へやってきた。転勤である。京都での学生生活を含めると、三十二年ぶりの北海道となる。

 北海道の太平洋岸は、春から夏にかけて、毎日のように海霧ガスに覆われる。演歌歌手のステージよろしく、ドライアイスの雲のように海霧がモクモクと湧き出してくる。その海霧が日差しを遮り、気温の上昇を抑える。真夏でも肌寒い。室蘭もそんな街である。

 私は北海道の太平洋に面した小さな漁村、様似さまにに生まれ、中学までそこで過ごした。夏になるとそれなりに暑いと感じ、ムシムシとした寝苦しい夜もあった。改めてネットで調べてみると、今年(二〇一三年)の様似の最高気温は二七・四度である。その前年は二九・三度、さらにその前は二七・九度だ。三〇度に達しないのである。室蘭もほぼ同じである。子供のころ、それを暑いと感じていた。

「アッツイ、アッツイ。参った、参った……」

「いやー、蒸すわ。寝苦しくてひっどいもんだぁ」

 気温が二十五度を超えると、そんな言葉が飛び交った。それは今も変わらない。

 室蘭での生活を始めて、六月になっても七月がきても暑くならない。こんなに寒いのかと思う日があって、七月になるとナナカマドの葉の一部が紅葉を始めた。ウソだろうと目を疑ったが、二年目の夏にも同じ現象が起こった。それを同僚に話すと、

「ああ、そういわれるとそうかもしれませんね」

 まるで意に介していない。

 そんな室蘭での二年間の生活を経、この三月に札幌にやってきた。札幌は内陸部ゆえ、暑い。高校、予備校時代を札幌で過ごした経験があるので、札幌のむせ返るような暑い夏を知っている。そんなわけで、構えて夏を迎えたのだが、結果的に不発に終わった。

 長く閉ざされた冬と、いつまでたっても暑くならない夏に一体どうなっているんだ、といった憤りにも似た思いを抱いた。試合開始時間になっても相手が現れず、ギリギリまで待って、結果的に不戦勝になったような、あっけない夏だった。だが、周りは暑い暑いと連呼している。「なに言ってンだ、こんなの暑いうちに入らないだろ」と言うわけにはいかない。「ホンと暑いよね」と口先だけ同調する。

 東京での長い生活が、私の体質を変えてしまったのか。自分の中で完全に消失してしまった北国の生活感覚に愕然がくぜんとする。五十三歳になって身体が鈍感になり、暑さを感じなくなっているのではないか、逆にそちらの方が心配になってきた。もともと私は無類の寒がりである。そんな要因がいくつも重なり、北海道の夏を暑いと感じなかった、と結論づけた。

 今年の本州はとりわけ暑かったようだ。連日三十五度の猛暑日を超えるニュースが盛んに伝えられ、四十度を超えた地域も何か所かあった。冷房の効いた部屋から外に出て、炎の中に放り出されたような、まさに「炎暑」という言葉にふさわしい危険な暑さである。それに比べて、三十度そこそこの気温は、やはり体感としては涼しい。湿度が圧倒的に違う。

 札幌で暑さを感じるのは昼間の数時間で、朝夕は涼しさを通り越してむしろ肌寒い。その肌寒さがやがてくる冬を想起させ、気分をふさぐ。贅沢な悩みだろうか。

 この夏、私は八月十五日になって初めて半袖のワイシャツで出勤した。遅きに失した。今着ておかなければ、機会を逃すと思ったのだ。だが、その日の朝、外へ出てみてあまりの肌寒さに後悔した。

「あ、近藤さん、半袖だ。いよいよ夏ですね」

 出勤したとたんに目ざとい部下に冷やかされた。気恥ずかしさが先にたつ。そんなことを言われたので、翌日も頑張って半袖で出勤したが、土・日をはさんだ週明けからは素直に長袖に戻した。

 北海道の真夏は、八月一日から十五日までと言われている。お盆を過ぎると秋風が吹き始める。確かに十五日から冬タイヤのCMが始まった。雪国では、冬季間、スタッドレスタイヤに履き替えなければならない。ワイパーも冬用のスノーブレードというやつに取り替える。札幌の初雪の平年値は、十月二十八日である。

 この夏、七十八歳の母が体調を崩し、二週間ほど入院をした。隣のベッドに横たわる婆さんは、酸素吸入の管を鼻から入れ、いかにも重篤じゅうとくうだった。ある日、その婆さんのもとに五十代と思しき息子夫婦が東京からお見舞いにきた。七月下旬のことである。

「……思ったより元気そうで安心したよ、母さん。東京は暑いよ。札幌の最高気温が、東京の最低気温だよ、信じられないだろう。天国だよなぁ、札幌は」

 息子は傍らの嫁さんに同調を求めている。生気を失ってぐったりしている母親をよそ目に、息子のテンションが場違いに高い。そんな空気の読めない息子に、

「あたしゃ、倒れたとき……、今度こそ、天国かと思ったよ」

 息絶え絶えのくぐもった声をしぼり出し、母親は顔をそむけた。少し離れたところでそのやり取りを見ていた年長が、苦笑いしている。長男は、毎日、甲斐甲斐しく病室に足を運んでいた。

「じゃ、母さん、また明日くるからね」

 そういって母親の手をそっと握り、柔和な笑みを浮かべて病室を出て行く年長の息子を目にしたことがある。自分にはできないよな、と思いながら心の中で母にびる。

 札幌の気温は、軽井沢とほぼ同等である。軽井沢は標高一〇〇〇メートルほどの高原にある。暑さを選ぶか、寒いのがいいか、さてどっちを取る。できれば、冬は東京、夏は北海道で過ごすのが理想だが、現実はそうもいかない。

 京都で学生生活を始めたときのこと。最初の年、〝比叡おろし〟とか〝京の底冷え〟といって、周りの者が寒がっている中、私はまるで寒さを感じていなかった。そうしているうちに冬が終わった。「あれ、冬がこなかった」と思ったのである。寒がりの私がそう感じたのだ。

 今、真逆なことが起きている。やがてこの北海道の環境にも順応するのだろう。苦手な長い冬とどう向き合うか。覚悟はまだ、できていない。

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2013年10月 初出  近藤 健こんけんどう

 

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