◆2025.07.23 岡目八目——事務局・近藤&池田と先生方との関係——

岡目八目
豊似湖(フォトACより)。ハート形の湖として知られている。場所は日高地方、襟裳岬の近く

 いきなり現代国語の授業のようですが、タイトルの「岡目八目おかめはちもく」とは、当事者より傍目の方がよほどよく事情を呑み込んでいるという意味です。そんな立場から不肖・正倉が綴らせていただきます。

 さて、近藤代表の立ち位置は、佐藤愛子先生ご一家とは、半ば身内のような関係にあります。代表が46歳の時、当時随筆春秋代表であった斎藤信也先生にともなわれて、太子堂(三軒茶屋)の佐藤邸を訪れて以来のご縁です(中央写真参照)。もう20年にもなります。

 愛子先生の別荘(←click)がある浦河町うらかわちょうと、近藤代表の実家があった様似町さまにちょう(←click)はいずれも北海道日高地方の小さな町で、しかも隣町同士。そんな縁も手伝って、盛夏ともなると、近藤代表は必ず佐藤家の別荘を訪れ、パートナーのえみ子さんも交えて、家族ぐるみの交流を続けてきました。
 浦河町や様似町の図書館には、佐藤愛子先生の著作や、随筆春秋の同人誌、近藤代表のエッセイ集などが納本されており、家族ぐるみの一団で訪問した際には、記念の集合写真を、代表がFacebook経由で事務局に送ってきたこともありました。

 日高山脈のふもと襟裳岬えりもみさきの近くには「幻の湖」と呼ばれる豊似湖とよにこがあり(トップ画像参照)、以前、佐藤愛子先生と娘さんである響子さんも含む3人で訪れたことがありました。足元に不安を感じていた愛子先生に、近藤代表が負ぶわせてくださいと前に進み出て、かがんでみせたところ、「いいえ、結構です」とキッパリ断られたという逸話が残っています

※ 近藤 健 書き下ろしエッセイ『つれづれなるままに、愛子先生(1)~(7)』
 (2)北海道の太平洋岸に浦河町という……(←click)

 一方、随筆春秋代表理事の池田さんは、佐藤愛子先生とはあくまでオフィシャルな関係です。その点において、近藤代表とは一線を画しています。これは池田さん自身が、あるところでそう綴っています。
 池田さんの場合、怒りんぼで口の悪い愛子先生からの叱咤を受けるサンドバッグのような役目を担ってきました。
 先生がまだお元気だった頃は、月に1度ほど太子堂の邸を訪れ、毎度のように怒られていたそうです。出来の悪い随筆春秋・会員の代表として、文豪・佐藤愛子から厳しい指導を受けるのが、池田さんのお勤めのようになっていました。次はどんなふうに怒られるのだろうかと考えすぎて、池田さんは体調を崩したこともあったと聞いています。

 この構図は、脚本家の故・竹山洋先生との関係にも通じていました。
 竹山先生は業界でも「うるさがた」で知られ、外連味けれんみの強い人物でした。亡くなった、堀川とんこう先生 (←click)は、TV業界では竹山先生の先輩に当たりますが、その奥様である、高木凛たかぎりん先生が池田さん宛てに送った手紙の中で、竹山先生を説明するのに、この「外連味」という言葉が使われていました。意味は、はったりのいた大袈裟おおげさな——といったところです。
 竹山先生からは3日に1度は電話がかかり、こんこんと説教をされることも珍しくありませんでした。
 随筆春秋が文学賞で千円の手数料を取っていたのは、前任者の方法を疑問を持たずに踏襲した結果でしたが、それを竹山先生から「おい、池田さん」と突っ込まれました。

「竹山が素人から小銭を集めているといわれたら片腹痛いではないか!」

 ご存じの通り、竹山先生はNHK大河ドラマ『秀吉』『利家とまつ~加賀百万石物語~』などを手がけ、高視聴率をもたらした大脚本家です。

「恥ずかしくて仕方ないよ」
「……はぁ」
「あの竹山が小遣い欲しさに関わっているなんて後ろ指差されたくないんだ!」
「ええッ……」
「芥川賞でも直木賞でもどこの世界にかねを取る文学賞があるんだいッ」

 この竹山先生の最後の言葉に、池田さんはハッとしたそうです。——オレは疑問を持たずに前任者の方法を引き継いでしまったが、しかし……。池田さんは、竹山先生の怒りに屈して審査料を無料にしたわけではありませんでした。随筆春秋賞をレベルの高い文学賞として育てるにはまずは無料化を決断すべきだというのが、池田さんのポリシーだったのでした。

 正倉の知る限りエピソードは他にもまだまだあるのですが、今回は紙面も一杯になりましたので、このへんで筆を置かせていただきます。では。
 暑さ厳しき折柄 御自愛下さい。

2025年7月23日
随筆春秋事務局長・正倉 一文