崔宣葉作品紹介

続・思春期をかけ

六月二十三日、神戸・三宮で柚希と七カ月ぶりのランチを楽しんだ。ランチタイムには少し時間が早かったので、映画でも見ようということになった。愉快な内容のものがいいねと意見が一致。

選んだのは、邦画で、世界を股にかけた詐欺師集団の物語だった。内容はコミカルで、笑い満載である。ギリシャの、太陽に輝く白い建物と、エーゲ海の目の覚めるようなブルーは、天衣無縫てんいむほう、無鉄砲で大胆不敵なドラマの展開に、一層の魅力を加味した。

ランチを終えて、コーヒータイムに移った。私はバッグの中から、麻里への手紙と、プレゼントを取り出して、テーブルの上に置いた。

「七月五日は麻里のお誕生日ね、これは私からの手紙よ。そしてプレゼントのペンダント」

と言いながら、袋に入っていたペンダントを取り出した。

「どう、綺麗きれいでしょう。ピンクと水色の色合わせもさわやかだし、ハートの形も可愛いと思わない? アマゾナイトとアラゴナイトという石の合成で作ったんですって。心に安定をもたらして、夜、よく眠れて、健康になりますように、って、願いをこめて作ってもらったのよ」

と私は言った。

柚希はペンダントをてのひらに載せながら、細かい細工にみとれていた。太宰府天満宮への、往復の旅程をこなした後の麻里は、何度か、病気回復のきざしを見せた。しかし、それはまだ、不登校を完全に克服できてはいなかった。そこに至るには、まだ何かが足りなかった。彼女たち母娘のエネルギーは、ここにきて、中弛なかたるみみの様相を見せていた。

「本当に、効き目があるのかしら」

「そうね、信じる者こそ救われる、の世界だから何とも言えないわね。体力回復の兆しを見せているのだから、次は麻里のピュアな心にけてみるのもいいね。あの子自身も、願いを込めて、このペンダントを枕の下にしのばせて寝るのもいいかもしれない」

いつしか、柚希はペンダントを握りしめて胸に抱いていた。

 

実はこのペンダントは、ひょんなことから手に入ったものなのである。

確か、五月の三十一日だったと記憶している。七年間、ふらりと出かけては、コーヒーを飲んだり、会話を楽しんでいた喫茶店が、閉店することになった。その最後の日に、私はマキちゃんという友人と、午後二時にそこで待ち合わせをした。

私が約束の時刻にゆくと、マキちゃんはすでにきていた。私がテーブルに着くなり、彼女は、自分のカバンをかき回して、黒い石を取り出して私に握らせた。いぶかしがる私に、攻撃の矢が、あなたに向かって放たれるとささやく。この石がスーちゃん(私のこと)を守ってくれるから、持っていてと言う。

とりあえず私はそれを受け取った。そして、席を他店に移してから、マキちゃんは私にたずねた。

「いままで、気付かなかったんですか? かなり強烈な悪念ですよ」

悪念を放つというのは、女性客の一人で、私がその店にいけば、不思議とよく出合うのだった。週に一度しかいかない私とは違い、彼女は常連客らしい。

「うん、感じのよくない女性だとは思っていたわ。人には好き嫌いというものがあるから、私は彼女に好かれていないのね、とは思っていたけどね」

私はその喫茶店が好きだった。店の通りに面した三面が、ガラス張りになっていて明るい。中に入ると、クラシカルなのである。アンティーク調の椅子やテーブルも、心が落ち着く。何よりもオーナーの人柄が良い。マルチな才能を持ちながら、てらわず、おごらず、人の心に寄り添える人なのだ。それでいて、物事の白黒をつけられる魅力的な人である。オーナーは私より三歳下の女性である。マキちゃんは言う。

「でも、あれは良くない」

「今日で、悪念を送ってくる彼女ともお別れよ。閉店したら、もう会う機会もないでしょうから」

「良くない念は残りますよ」

と、マキちゃんはなおも私を心配してくれる。良くない念とはなんだろう。分かるような、分からないような、曖昧あいまいな気分である。私のどこが気に入らないの? なんて聞いても仕方がない。人の心に潜む伏魔殿ふくまでんに、足を踏み入れないで済むには、お別れが一番いい。そのときがきたのだ。

ちなみにマキちゃんは私より十六歳若い。今年、還暦を迎えたという。私たちはウマが合い、年齢の差は気にならない。

丸顔で色白、目はぱっちりしていて若見えするマキちゃん。しかしながら、かなりの苦労人だ。そんなこともあってか、直感力が鋭く、周りの空気に敏感だ。そして、スピリチュアルなことに関心が強い。彼女が私の手に握らせた黒い石も、ハート形をしている。マキちゃんはその石に、二年間、人間関係の障りから守ってもらったという。

このとき、ふと、麻里のことが頭に浮かんだ。そして麻里の症状を話して、健康祈願をしてみようかしらと言ってみた。すると、彼女はスマホをとり出して、何やらを検索けんさくし始めた。やがて、色とりどりの綺麗な、形も様々な石の画面を見せてくれた。

石にも性格があり、健康祈願だったり、就職や進学、恋の成就と、願を懸けるのに適した石があるのだとか。なるほど、フムフムと、私は頷く。この石細工をする人はシャーマン的な人らしい。麻里の年齢を考えて、可愛らしいものを選んだ。それから数日して、マキちゃんは願いを込めた、ペンダントを届けてくれた。

良いと思えることは、なんでもやった方がいい。それが私のモットーだ。高額なものは疑わしいが、そうではない。ランチ代くらいだ。マキちゃんは、祖母の私にも、ペンダントに向かって、病気回復の念を吹き込んでねと言った。

そんな、いきさつを柚希に話すと、彼女もまたペンダントを胸に抱いて、何やらブツブツと唱えた。彼女もまた、自分の思いを込めたのだろう。こうして、手紙とペンダントは、七月五日の麻里の誕生日を待たず、彼女の手に渡った。

 

親愛なる麻里さま

ちょっと大人っぽい挨拶で始まってしまいました。その後、いかがお過ごしでしょうか?

あなたはもうすぐ十五歳ですね。お誕生日おめでとう。十五歳は立派なレディですね。ここでは今までのような、ばぁばの表記を止めて、レデイに成長したあなたに対して、私も自分のことを「私」と書きたいと思います。祖母の立場からすると、孫はどうしても実年齢より幼く感じてしまうのは、なぜでしょうか。

私は今、自分が十五歳になった日のことを、懐かしく思い出しています。六十年以上も前のことなのに、当時のことが、鮮やかに思い出されます。私は、十五歳と二カ月で、東京の寄宿舎付きの高校に進学しました。当然、故郷に住んでいる家族とは、離ればれになりました。当時、私は家族と一緒に、新潟県下に住んでいました。

十五歳になったばかりの田舎娘です。東京ではどんな運命が待ち受けているのでしょうか。親たちは、危険なことばかりを言って、注意をうながしました。不安と期待で胸ははちきれそうでした。でも、成るようにしかならない未来に飛び込んでいきました。これも勇気の要ることでした。そこでたくさんの失敗もし、また多くを学びました。

話は少し飛びますが、あなたは、プライド=自尊心についてどう考えますか? 麻里はこの二年、難しい病気と闘ってきました。登校できなかった日も多く、学業がままならなかったでしょう。よかった成績も下がったでしょう。この間にあなたが失ったものは大きい。

それでも、くじけず自分のできることから努力を重ねて、今日の体力を取り戻しましたね。登校途中で、何度も激しい眩暈めまいや頭痛に襲われることも、あったと聞きました。そんな日々の中、たとえ、週一であっても、決して登校することを諦めなかったあなたは、素晴らしい。

一緒に旅行した、太宰府天満宮への一三〇〇キロの道のりを、立派に制覇せいはしましたね。あの旅行に備えて、進んで体力づくりしたことも聞いていますよ。旅行の間中、苦手な薬もきちんと飲みました。親戚とはいえ、たまにしか会わない大人たちに囲まれて、さぞ気を使ったことでしょう。

話は少し逸れます。従姉の詩織さんも、今年の三月から様々な原因から、全身に熱を帯びた湿疹に見舞われて、苦しんでいます。それでも、仕事に穴をあけることもなく、頑張っています。彼女は大学病院を受診して、沢山の種類の薬を服用してきましたが、今回、だいぶ快復して、飲む薬の種類も半分に減ったそうです。薬は永遠に飲むものではありません。

あなたは、幼い頃から薬を飲むのを極端に嫌うそうですね。それは我儘ではないでしょうか。あなたのママは、漢方の特殊な処方箋を貰うために、往復三時間の道のりをいくというではありませんか。旅行の間に飲んでいた薬は、飲みやすかったのでしょうか。

人間、反発したり反抗したりするだけでなく、自分にとって大切なものは何かを、考えてみましょう。苦手なもの克服しようとするには、勇気と努力が必要ですよね。同じことは勉強についてもいえます。中学生の二年間の成績が白紙状態のあなた。今、ここで受験の話を突き付けるのは、確かに過酷とも思えます。しかし、これは動かしがたい、時間と言う現実なのです。

避けて通れないのが現実です。イメージしてみてください。今まで親しくしてくれていたクラスメートはみな、あなたとは違うステージに行くのです。麻里は、あなた独自のステージを作らなければならないのですよ。遅れを取った勉強を取り戻すには、体力と忍耐力が要ります。それを誰よりもよく知っているのは、実はあなたなのですね。

麻里、あなたはロッククライミングを知っていますか? 初心者のクライマーが、これから登ろうとする岩山の下に立ち、その頂を仰ぎ見るとき、足がすくむといいます。実際の傾斜が五十度くらいでも、七十度くらいに感じられるといいます。七十度というと目視もくしでは、ほぼ絶壁です。

クライマーが足を竦ませ、身ぶるいしても当然です。武士が難攻不落なんこうふらくの砦を、攻め落とすのに似ているからです。守りを固めた敵方に攻め入るには、大変な勇気が要ります。いつ、鉄砲の弾や矢が、飛んでくるかしれませんからね。それはもう命がけです。この心境、今のあなたに似ていませんか。でも、いつまでも躊躇ちゅうちょしていたのでは、焦る心はつのるばかりです。

じりじり、イライラするあなたのジレンマが、私にも伝わってくるようです。麻里、駄目もと、という言葉を知っているでしょう。実にいい言葉ですね。悩み多き人間たちを、勇気づける言葉だとは思いませんか? 頭の中で勝敗を計算するより、一歩踏み出しましょう。光を目指して。

友だちに笑われないように、恥をかかないようにしようなどと思わない。失敗を恐れず、チャレンジしてみましょう。いつわりの慰めや誉め言葉に心をすくわれないようにしてくださいね。

あなたは、今から七百年前の歌人で、随筆家の吉田兼好を知っていますね。そう、国語の教科書にも登場しています。彼はこんなことを言っています。

「大事なことを 成し遂げようと思うなら、他人からバカにされようと、笑われようと、恥じてはいけません。」

素晴らしい言葉ではありませんか。まるであなたに贈られた言葉のようです。

 

話は、プライドという言葉に戻しますね。私は、プライドを重んじるということは、繰り返し、チャレンジする心を持つことだと思っています。

チャレンジして失敗するあなたを、笑った人がいたなら、一緒に笑い飛ばしましょう。二年近いブランクを、一気に埋めることなど無理なのです。初めから上手くいかなくても、ドンマイ。転んでも、何度でも立ち上がる、今のあなたの姿こそ素晴らしい。気高く、プライドの高い生き方だと思います。

あなたは、すでに新しい段階に入ったのですよ。次に立つステージは、準備されています。後は、飛び込む勇気です。見える力、見えない力が、目標に向かって励む麻里を、応援してくれるはずです。

プレゼントの愛らしいペンダントは、作ってくださった方と、あなたの健康回復を願う家族の祈りが込められています。ペンダントに話しかけてみてください。優しく微笑み返してくれるはずですよ。

滅多に会えないので、長い手紙になりました。さて、麻里さん、今度はいつ会えるのでしょうか。その日を楽しみにしていますよ。

あなたの応援団長、ノンタン(孫たちからこう呼ばれている)より。

 

病を得るまでは、何事もそつなくこなし、準備をおこたらず、完璧主義を目指していた麻里。プライドも高かった。それだけに、とことん落ち込むと、もう、這い上がることが難しいのではないかという、不安は大きかった。私は太宰府天満宮へ、一緒に旅した三泊四日の中で、彼女をそれとなく観察した。

青い果実。幼い部分と、鋭利に研ぎ澄まされた感性が混在した、十五歳の少女がいた。そして、彼女は若い子にはありがちな、華やかな世界への憧れが強い。

 

七月七日、麻里から私宛に、絵葉書が届いた。この春、兼六園へ修学旅行にいったときに買い求めたものらしい。絵葉書には彼女からのメッセージはなかった。しかし、あて名書きは、堂々とした楷書だった。字体から強い力が伝わってきた。私が、彼女への誕生日プレゼントと長い手紙を送ってから二週間がたっていた。

数日して、柚希からラインがきた。麻里は私が送ったペンダントと手紙を、大事そうに自室に持って入り、繰り返し読んでいた様子を伝えてきた。そして、拒み続けていた、三部制の高校の説明会にいくと言い出した。そして、まもなく、始まる期末テストを意識して、生活の改善をするのだと、意欲を見せ始めたと言う。

再び、七転び八起きの生活が始まるも、転んだ後の立ち上がりは、早くなったらしい。意気込みはいいのだが、体力の調節が難しいらしい。早朝、四時に目覚ましをかけ、登校の準備をするも、本番になると、力尽きてしまう。

そんな失敗を繰り返しながら、麻里は普通の生活への体制を、一歩一歩整えていった。目標を少しずつながら達成していくと、彼女の中に自信が湧き始めた。

一学期の終業式を控えたある日、麻里は目に涙を浮かべて、母親に言った。……中学の三年間、共に学び助けてくれたクラスメートと、一緒の卒業式に臨みたい、と。

柚希は、このとき、ここ数日間の、麻里の寡黙を理解した。沈黙は、麻里の決意のほどだったのだろうと。中学生という年齢は、一生のうちで、心身ともに最も迷いの多い、多感な時期である。初めて体験する体調の変化、友達関係。時には誤解をしたり、されたりしたこともあっただろう。

時間の経過は、もつれた糸を解くように、問題を解決し、友情を深めたこともあっただろう。麻里は、この二年間、クラスメートに支えられ、助けられてきた。惜別はひとしおのことだろう。これからも、様々な出会いや別れがあったとしても、麻里にとってのこの三年間は、特別なものになるのだろう。

 

柚希は、麻里が生活のリズムを整えられるように気を配った。娘が自分の意気込みに引きずられて暴走しないように、適度の休憩や、息抜きをいれるタイミングを、アドバイスした。ちなみに麻里は、猪突猛進型のタイプでもあった。登校しない夏休みの期間も、規則的な生活のリズムを整えるのに、二人は二人三脚で頑張った。

二学期に入り、同級生と肩を並べて、登校できる日が続いた。結果は二の次と割り切り、中間テストも、その他のテストも進んで受けた。そして、塾に通うまでの体力の回復をみせたのだった。

麻里の内側から湧き上がった強い思い。みんなと一緒に、卒業の感動を分かち合いたい、という願望が、病気回復への突破口をひらいたのだった。

そして、十一月になったある日、私は久しぶりに柚希の家を訪ねた。八カ月ぶりに見る麻里は少し大人びていた。彼女は机に向かって勉強をしていた。迎えてくれた笑顔が明るい。言葉数も増えた。顔には、薄っすらと赤みがさしていた。後で気づいたのだが、オーラのようだった。

私は、彼女が母親と一緒に、三部制の高校の見学にいってきた話を聞いた。そこには、体調に問題を抱える子だけでなく、様々な家庭の事情を抱える子たちも、少なからずいる。彼らの風袋ふうたいかもし出す雰囲気に、自分が馴染めるのか、麻里は考え込んでいた。

話も一段落したので、一緒にランチにいこうと誘ったら、あっさり断られてしまった。勉強を続けたいと言う。私と柚希はそんな麻里を置いて、三宮の繁華街に出かけることにした。

駅へ向かう道すがら、柚希は淡々と語る。一年前の日々を振り返ると、麻里が、今日のような健康を取り戻せるとは、到底思えなかったと。当時は、家庭崩壊の寸前であったとも。普通に登下校をし、体育の時間も含めて、当たり前に授業を受け、塾通いまで可能になったのだ。

この当たり前の生活がいかに大切か、失ってみて、初めて知ったという母と娘。人生の大きな学びだ。麻里は、幼くして、その大事を悟ったのだから、貴重な体験になっただろう。

麻里の父親、ひろしさんは決して娘の苦しみに、無関心だったわけではなかった。どう接すればいいのか、分からなかった。いつまでも子供だと思っていた娘が、思春期の微妙な心理状態になりかけているのに、気づかなかったのではないか。

父親にしてみれば大した意味を持たなかったはずである。彼の不用意な一言が、麻里の琴線に触れたのかもしれない。気の毒にも、寛さんは麻里の無視という洗礼に出会ってしまった。和解した今は、洗礼の原因は不明のようである。

寛さんは、柚希の苦労をねぎらうために、土曜日には、彼女を外に連れ出していた。そうして、自分のできることをしながら、娘の快復を願っていたのだろう。不器用ながら、一家の主の役目を、そういう形で果たしていたようである。

 

十二月五日、柚希からラインがきた。

猪突猛進という言葉がピッタリ。麻里は、一日に、七、八時間を超える、自主学習をこなす日も出てきた。破壊の力も再生の力も半端じゃない。傍のものがハラハラ、ドキドキする境地に入った。本人の中から湧き出る力か、見えない力に突き動かされているのか、分からない。

麻里は、前回の三部制の高校の、体験入学から帰ってから、他の道はないのかと、真剣に考えたようである。彼女には中学二年生時の成績は、不登校のためないのである。提出物もゼロだ。同級生たちと同じ受験資格はない。そんな悩みに乗ってくれたのが、彼女が通う塾の塾長だった。

塾長は、通ってまだ日の浅い麻里のために、他の選択肢を探ってくれた。その中で彼女の心を強く引いたのが、兵庫県立西宮K高等学校だった。こちらの高校は多部制であり、授業に参加しながらも、学校行事にも参加できることだった。これは喜ばしいことだった。麻里は、授業はおろか部活や、体育祭、その他の様々な学校行事に、参加できなかったのである。

さらに、麻里の心に大きな灯を点けたのは、努力次第では、大学受験も可能だということだった。当高等学校にはその実績があった。それを知った瞬間、彼女は、自分は、養護学校の教諭になりたいという思いが、強く胸にりあがってきた。まるで、神のお導きのようなことの成り行きに、彼ら家族は感謝の日々を迎えた。

かといって、これで、麻里が無条件K高等学校に入学できるというわけではない。在学している中学校長経由証印が必要である。つまり、推薦してもらわなければならない。さらに、K高等学校の一次試験、二次試験が待ち受けている。

しかし、苦境から全力で這い上がった麻里は、はっきりとした人生の目標を掴んだのである。彼女は今、中学時代の基礎学力を、一つ一つ習得している。そして失われた時間を取り戻すかのように、時には友と語らい、図書館や美術館などへも出かける。思春期を一気に翔けぬけるかのように。

「チャイルドカウンセラー」とは、私は初めて聞く。麻里はこの資格をとって、将来の自分の仕事に生かしたいと言っている。自ら体験した起立性調節障害の苦しみを知り、それを克服した喜びを知る彼女は、優しい、養護教諭になるだろう。

大きなつぼみが先に咲くとは限らない……このこれは、私が高校生の頃、ある教師が言った言葉である。どんな状況で発せられたのか、今は覚えていない。何故か、胸に刻まれている。

麻里は生後、二歳になる頃には、活舌もよく、立て板に水のような、流暢りゅうちょうな語り方を見せた。内容も、理路整然として、周りの大人を驚かせた。その後、起立性調節障害におちいるまでは、クラスやグループの中心的な役割を果たしてきた。それが、思春期の入り口で心身を病み、再起不能を心配させる、闇の二年間を生き抜いた。今、彼女は自信を取り戻し輝いている。

もし、麻里が自分の孫ではなく、燐家のお孫さんだったら、この過酷なドラマを、共に体験することはできなかった。私は、今、子供の成長する芽という、生命力の強さに心を打たれている。根雪の下で春を待ち、やがて大地を割り、発芽する雑草に似ていると思った。

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