熊井禎臣『一枚の絵葉書』随筆春秋刊、2022.03.24

出版書籍の校閲・あとがき

大河ドラマ「秀吉」「利家とまつ」の脚本家、竹山 洋 先生(←click! to Wikipedia)が、あとがきを寄せてくださいました。

竹山 洋先生(Wikipediaより)

竹山 洋「あとがき」

熊井くまい禎臣ていしん(敬称略)の短編小説集・『一枚の絵葉書』の最初のページに、【わが師(随筆春秋元代表)・故斎藤信也先生に捧ぐ】と、ある。

熊井は、長い歳月、斎藤の指導を受けて随筆を書いてきた。あるとき斎藤が、あなたには小説の才があると言った。熊井はそれで小説を書き始めた。斎藤は慧眼けいがんであった。

「気が臆する」 

書物を読み、それを原作として映画やドラマ、演劇の脚本を書かねばならぬとき、時として気が臆するときがある。そびえ立つ高山が、眼前にあらわれて、その山に登らなくてはならぬ、というような峻厳しゅんげんな気持ちを抱く。

私事で言うと、藤沢修平の『三屋清左衛門残日録』『風の果て』、松本清張の『点と線』『鬼畜』『砂の器』、大伴家持が編纂へんさんしたといわれる『万葉集』、なかにし礼の『長崎ぶらぶら節』など、その原作小説の、山の高さ、険しさに、(書けるか……)と、気が臆したことがあった。

そういうときには必ず高熱が出た。作者と私の霊魂が戦っているのである。

言霊ことだま。作者の言霊、魂がそこに近寄る私の魂と、命のやり取りをする。そして私の魂が、善なるものだと認めたときに「書いてもよい」と、作者の魂は和らぐ。高熱が下がり楽になる。それからはペンが走り始める。

熊井禎臣の小説を読んだときに、久しぶりに「気が臆した」。  

この人は、命がけで書いている。随筆を主に書いてきたらしいが、小説の方がこの人の心魂であろうと思った。家屋敷の情景の描写の精緻さ。登場人物たちの気質、心の闇の黒さや血の赤さ。特に感心したのは、男女の情交の風景の艶である。色ごとのたとえようのない淫靡いんびさ。

松本清張の本格的推理小説の趣で『暗黒の川』の終盤は圧倒的な迫力がある。

時代小説の『白い人の館』と『暗紅の袱紗』は、人間の業を描き切った秀作である。脚本を書き、映画化をしたい(熊井が脚本化を許すかどうかはわからないが)。

熊井は、武田信玄に滅ぼされた小笠原家の一族だという。そのことを書いた小説が読みたい。実は、私は武田信玄の血脈を継ぐものである。滅ぼされた側の小笠原家から見た、信玄の姿をどのように描くのか。

【知りがたき事、蔭の如く】武田信玄の戦旗「風林火山」の後に続く、孫氏の兵法のこの言葉。知りがたき事、蔭の如く……その言葉のような信玄の蔭、闇を描いてもらいたいと思っている。