ミヤマキリシマ 花だより (その5)
「わたしの孫育て」(by あひる)
昭和の人間であるわたしには、いまだになじめないでいるが、若いころはなかった祭日が、平成、令和となってずいぶん増えた。今年は七月二十二日から四連休である。
保育士である幸奈は仕事で出勤だった。連休初日、主人はひとりで釣りに出かけた。釣りに行くのは久々なので、のんびりしてきてほしいと思ってはいたものの、元気ざかりのふたりの孫たちの相手はわたしの任務になった。
孫たちの相手をするには忍耐と体力がいる。集中力がある朝のうちにと思い、四歳のまめにタブレットPCの動画を見せ、七歳のひよこに宿題をさせることにした。
ひよこは国語は得意だが、算数が苦手なようだ。リットルとデシリットルの計算でつまづき、あと回しにしようとするので、教科書を見るように言うと機嫌が悪くなった。
できるだけわかりやすく説明してやっても、ひよこは「わからない」を繰り返す。ついわたしの声も大きくなってくる。そのうちまめが見ていた動画が終わり、彼は「次の動画に操作できない」とかんしゃくをおこした。まめをひざに乗せ、新しい動画に切り替え、ひよこと一緒に計算問題をすませ、ひとりでできなかった問題には×印を小さくつけた。
ひよこはそれが気にくわないと、また機嫌が悪くなった。
少し早いが九時半におやつタイム。粉と水を混ぜるだけの簡単なお菓子を作った。さっきまでの駄々っ子ぶりはどこへやら、
「楽しいから、まめもいっしょに作ろう」
と、弟をさそうひよこを見て、わたしは妙に腹がたった。そこでまめに、
「やつあたりされないように、ひよこに関わるな」
と言ったところ、まめは険悪な雰囲気にオロオロした。しかしひよこのほうは、そんなわたしを気にするふうもなく、でき上がったお菓子をまめの口に入れてニコニコしている。「おいしい、ひよこ、すゅき」
子供の笑顔に罪はない。かくしてひよこのあどけなさに負けてしまったわたしは、居あわせた息子の広輝に、
「算数でひよこを怒鳴ってしまい、深く反省している」
と懺悔した。じつはさりげなく、お菓子でまめを釣るひよこをやんわりと非難し、やや弱いおばあちゃんぶりをアピールしたのだ。
そこへちょうど主人が久々の気晴らしから帰宅した。
聞くとこの日はたいして釣果がなかったようだ。
「いっぱい釣ってきてくれるはずだったのに、じいちゃんはあてにならないねえ」
とやつ当たりして憂さ晴らしをした。
主人が釣ってきたイサキは体長十センチ程度、アラカブ(カサゴの一種)は七センチ、鯛はせいぜい五センチくらいしかない。
それらをわざと南無南無……と拝んで、
「普通の人は海に返してくれるのよね」
と皮肉を吐きながらウロコを取り、煮付けにした。
「これは味噌汁にしたかったのに……」
と文句を言う主人に、美味しいという顔を見せてくれるひよことまめは、やはりわたしたちの天使だ。
こうして始まった四連休は、最後の日も、わたしとひよこの戦いになり、いじけたわたしは夜八時には早くも就寝、翌朝まで機嫌が悪かった。
ところが学校から帰ってきたひよこは
「ばあちゃん、お土産だよ。学校で育てたミニトマト」
とニコニコして渡してくれた。わたしの機嫌はいっぺんに良くなり、心の中で、
『孫育てなのか、孫育てられなのか、わからんねぇ』
とつぶやいたのだった。
「一緒にいたい」(by ゆきな)
ある日、まめが口をとがらせて、
「ママ、ぼくがお休みのときは、お家にいてよ!」
とねだった。保育士の仕事は土曜と祝日も出勤だ。口には出せないが、
『まめくん、お口が達者になったねえ』
と、息子の成長に感動しつつ、そんなことを朝から言われた切なさに後ろ髪を引かれる思いをしながら、わたしは出勤した。仕事中も子どもたちの様子が気になり、仲良くしてるかな、寂しくて泣いていないだろうか、そんなことばかり考えていた。
長女のひよこは二歳半になった頃に保育園に行き始めた。初めての保育園になかなかなじめなくて、二週間も泣き続けたのを、わたしは今でも鮮明に覚えている。
ひよこが四歳のときにまめが産まれた。活発なひよことは正反対で、おとなしくてあまり手のかからない赤ちゃんだった。この子も二歳になるまでは、わたしが専業主婦として家で育てたいと思っていたのだが、まめが二ヶ月の時に、もと夫が、いきなり仕事を辞めた。
収入がなくなったわが家は、わたしが働きに出ざるを得なくなり、まめが二歳になるまでは家で過ごしたい。というわたしの希望はあっけなく断ち切られてしまった。
まめは生後四ヶ月のときに保育園に行き始めた。まだ小さかったので、ひよこのように、慣れなくて泣くということはなく、まめにとっては、保育園に行くことが当たり前の生活だった。
現在まめは保育園生活が四年めになり、途中で引っ越しもあったが、いまでは、すっかり保育園に馴染んで、自分もまるで先生のように、ふるまっている。
でも、まめが赤ちゃんのときに一緒にいてあげられなかったことを思うと、
「ママ、ぼくがお休みのときは、お家にいてよ!」
というまめのセリフには、ズバッと胸を射抜かれたような気持になり、とても愛おしい気持ちがわき出てくるわたしであった。
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