あひる&ゆきなリレーエッセイ集

石 体 神 社しゃくたいじんじゃ(九州の神社HP より)(↑CLICK!


 

ミヤマキリシマ 花だより (その9)

 

 

「神話の里」(by あひる)

 

国産みをされたイザナギとイザナミの第一子であるヒルコノミコトは、三歳までに足腰が立たず、船に乗せられ漂着した地で根付き、大きな杜となった。その杜は奈気木なげきの杜と呼ばれたと古事記に記されている。蛭子えびす恵美須えびすとも呼ばれ、福徳の神、漁業、航海の神、商売の神である。

学生時代に古事記を学んだ私は、神代の話とはいえ、子供を船に乗せ、流すなんて神様はずいぶんひどいことをされるものだと思った。同時に、いつかなげきの杜に行ってみたいとも思った。

神話にまつわる場所は諸説ある。

私は詳しい場所を調べることもせずに、きっとどこか遠くの場所だろうと思いこんでいた。

ところが結婚して霧島市に住んで間もなく、主人の実家から歩いて三十分ほどのところに「奈気木なげきの杜」があることを知った。

神話に全く興味のない主人は、わざわざ行くほどのところではないといわんばかりの様子であった。

それどころか、

「あそこは人通りがない場所だから物騒ぶっそうじゃ。あんたは絶対に一人では行くなよ」

と釘を刺されてしまった。

そのときからもう三十五年がたち、なんだかんだと生活に追われて、いつしか私自身が神話に思いをめぐらすことすら忘れていた。 

実母と姑の二人の母を見送り、もうすぐ一年がたとうとしている。

寂しさはつのるが、時間に余裕が出てきたこのごろ、霧島市の郷土誌などを開いてみた。すると「奈気木なげきの杜」が近くにあると知った頃の感情が蘇ってきた。

蛭子神社から鹿児島神宮までは、歩いて三十分ほどの散歩道になっている、ここは坂本龍馬とおりょうさんが歩いた旅路をたどる「ハネムーンウォーク」のコースにもなっている。ふたりは京都から薩摩にかけて日本初のハネムーンをしたとされているのだ。

車がギリギリで離合できるほどの道の脇には小さな灌漑用水路が流れている。その流れは清らかで、蛭子神社のあたりはホタルの名所になっている。用水路の両脇に桜の木が並び、春にはお花見ができる公園もある。

ひよこが小学校に入学する前の春休みには、私の実母が入居していたグループホームのお花見もこの公園で行われた。幸奈の手作りのお弁当を持って、私と幸奈とひよこがそのお花見に参加させていただいた。

母は、ドロドロに潰したミキサー食しか食べられなくなっていたが、色とりどりのミキサー食をお弁当につめていただき、楽しそうに味わって食べた。このときはデザートのプリンを完食した。

ひよこの顔をながめてうれしそうに微笑んでいた母の在りし日の姿は、いまでもまぶたに焼きついている。

男性の入居者がノンアルコールのビールを飲み、ご機嫌で隣の職員のミートボールをつまみ食いした。職員は大笑いし、皆が笑った。寝たきりの入居者も、シートに寝かせ暖かい毛布をかけてもらい、気持ち良さそうに眠っていた。

穏やかな時間が流れていた。

公園の隣には卑弥呼神社があり、その奥を登って行くと、石体しゃくたい神社がある。

石体神社は安産の神様で、お参りに行った帰りに用水路脇の丸い石をいただいて帰り、お産の後に、石を二個お返しするという習わしがある。お参りの帰りに最初にあった人の性別が生まれるという言い伝えもある。

私が幸奈を産む前は、お参りしたあと主人の実家に帰り着くまでに、犬にしか会わなかった。

あれは多分メス犬だったのだろう。

安産を祈ったわりには、入院続きの上に妊娠中毒症で散々だったが、幸奈自身がひよことまめを産んだときには
安産だった。おそらく安産の象徴である犬に守られているのだろう。うらやましい限りだ。

私が長男を産む前は、紫色のシャツを着た、少々グレた感じの男の子に出会った。しかし長男はグレることもなく、比較的おだやかな人生を送っている。

散歩にいい季節になってきた。

これからゆっくりと神話の里をながめてゆこうと思っている。

 


 

 


 

石体しゃくたい神社」(by ゆきな)

 

家の近くに石体神社という安産祈願で有名な神社がある。

創建はあまりに古くて史書にはなく、神話の時代にさかのぼると言われている。

ひよことまめは、この石体神社で安産祈願をしてもらった。神様のご加護のおかげで二人とも安産だった。

平成が令和に替わる直前、ひよこと母と私の三人は、グループホームに入居していた祖母と一緒に花見をした。

ひよこは石飛びをしたり桜の花びらを拾ったりして、自然を満喫していた。祖母はそんなひよこの様子を、微笑みながら見ていた。

祖母と出かけるのも何年ぶりだっただろう。

いつもはあまりテンションが上がらない私も、この日ばかりは早起きをして、三人分の弁当を作り、花見を心待ちにしていた。

小さい頃から祖母のことが大好きだった私は、祖母から電話がきたときは、なかなか切ることができず泣いていた。

祖母と買い物をして、お茶をするのが楽しみで仕方がなかった。学生のころには、けっこう頻繁ひんぱんに会うことができていたが、就職してからは会う機会が減り、結婚してからはほとんど会うことがなくなっていた。

久しぶりにゆっくりと会うことができて嬉しかった。また来年も花見ができたらいいなと思ったのを今でも覚えている。しかし残念ながら、祖母との花見はこれが最後の機会だった。あのとき花見に行けなかったまめも、今年は補助輪つきの自転車に乗って石体神社までいけるようになった。今では石体神社は私達の散歩コースになっている。 

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