第3編 思わずこだわってしまった泡沫話

第3編 思わずこだわってしまった泡沫うたかた

―――たまたま知った関心事についつい深入りしていました――

 

 

05.  蜂蜜とミツバチの話

05-1. 「虻蜂取らず」ってどんなこと?

 


ふと蜂に関することわざ・格言類を調べてみたくなった。知られているものには、次のものがある。
虻蜂あぶはち取らず」(虻蜂とらず、虻蜂捕らず)
「泣きっ面に蜂」(泣きっ面を蜂が刺す)
「蜂の巣をつついたよう」
蜂起ほうき
他には、「蜂誇り」「蜂払い」「石地蔵に蜂」「牛(鹿)の角を蜂が刺す」などもあった。
ついでにいえば、類似語には、「二を追う者は一兎をも得ず」「一も取らず二も取らず」「花も折らず実も取らず」「欲は身を失う」などがある。
また、対義語には、「一石二鳥」「一挙両得」「一発双貫」などがあげられる。

目新しいものに「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というものもあった。これは、かつての偉大なボクサー、モハメド・アリのファイトスタイルの代名詞で、「ヘビー級でありながらも華麗なフットワークで相手の攻撃をかわし、一瞬のスキをついて強烈なパンチで仕留めるさま」を言い表した言葉だそうだ。

私には「蜂の一刺し」がまず思い浮かんだが、格言に入っていなかった。これは「蜜蜂が一度差したら死んでしまうことから、自分の命をかけて相手に致命傷となる一撃を与えること」を意味する。
意外に思ったので、入っていない理由を探ってみた。自分なりの結論を先に言えば、故事というほど歴史的に古くないからだろう。この言葉が生まれるきっかけは、1981(昭和56)年10月28日と新しい。
このころ、有名なロッキード事件で世界が揺れた。田中角栄元首相が賄賂受領疑惑で問われていた。被告側が必死に無罪を主張している中、検察側証人として出廷し、有罪に追い込んだ女性がいた。首相元秘書・榎本敏夫の前の妻だった榎本三恵子氏である。
裁判で、彼女が田中被告の5億円受領を裏づける重要証言をした日が10月28日。11月4日の記者会見で「真実を述べるのは、国民の義務だと思います。……蜂は一度刺すと命を失うと申しますが、人を刺す行為で、私も失うものが大きいと思います」と発言した。
このことから「蜂の一刺し」の言葉が生まれ、当時、流行語にもなった。心に残る言葉だった。

蜂が人を針で刺すと死んでしまうのは事実である。ただし、蜜蜂に限られ、実際に刺すのはメスに限られる。人と接触する機会が多いのは働き蜂=メスだから。針が釣り針型(逆棘)である独特な構造にある。
人などの皮膚を刺すと、逆棘が引っかかってしまい、蜜蜂の針は抜けなくなる。蜜蜂の方も、針が抜けなくなってしまい、無理に針を抜こうとするので、蜜蜂の腹部の末端はちぎれてしまう。腹部がちぎれてしまえば、いったんは自由になった蜜蜂も、しばらくして命を失ってしまう。
一方、針には腹部の末端も残っているので、腹部の末端にある毒をためている袋から針に向かって毒が送り続けられる。皮膚を刺されたままにしておくと、人体に毒が注入され続けることになる。

蜜蜂は、蜂蜜の生産や植物の受粉など、私たちの生活に貢献し、見た目も可愛らしい。おとなしいから、人間から刺激をしなければ刺しに来ることはほとんどない。このことに注意し、ずっと仲良く付き合っていきたいものである。
「蜂の一刺し」は、歴史に残り、やがて格言の一つに加わる日がくると思われる。

さて、古くからよく知られていることわざに「虻蜂取らず(アブハチとらず)」がある。短文で何となく語呂がよく、一度聞くと頭に残りやすい。語源や由来は不明で、人の行動から生まれた教えの一つだと説明される。
明快なようで、表現にこだわってみると、知らないと「何を言っているの?」となりそうで、必ずしも容易な理解とはならない。
意味を知らない人に聞くと、文字通り「虻、蜂取らず」や「虻は蜂を取らず」と理解し、「虻は同じ虫であるから蜂を取らない」「虻は蜂が恐ろしいから近づかない」などの解釈をするそうだ。
そこで、こだわって探究を試みたくなった。この後の文はその探究の経過を綴ってみたものである。

「虻蜂取らず」は西洋のことわざ「2兎を追う者1兎をも得ず」と同じ意味を持つとされる。このことわざの意味するところは誰にもわかりやすい。
よく体験することを言い表している。元は猟師の話だが、2羽(匹)の兎(ウサギ)を同時に追いかけて、両方を捕らえようとすると(それぞれ方向を変えてばらばらに逃げられてしまい)2羽ともつかまえられず、失敗してしまう。

このことわざは一般化すれば、「欲張り過ぎるな」「やり始めたことを途中で変えるな」「物事を始めるにあたっては、準備と決断が必要だ、目的や方向を明確に一つに絞ったほうがよい」という教えや戒めである。
「虻蜂取らず」は、元の表現は「虻も取らず蜂も取らず」であったのが簡略化されたそうだ。意味は「あれもこれもと狙って、一物も得られないこと」「欲を深くして失敗すること」などとされる。
「虻と蜂」が登場する理由は、一般的に「虻」も「蜂」も生活の中でなじみの深い昆虫だからだそうだ。
身近な昆虫を例示するのであれば、「蝶と蠅(チョウとハエ)」でもよかったのではないかと思う人もいるだろう。「虻と蜂」とされたのは、「小さいが攻撃力のあるものの代表」として採用され、熟語「虻蜂」の表現もあり、「容易には捕まえ得ない(手ごわい、困難な)ものは、手堅く対処しなさい(取り組みなさい)」という教訓も暗に含められたとみなされる。

このことわざは主体が不明である。「虻蜂取らず」の「虻と蜂」をつかまえられない主が人間だと考えると、「2兎を追う者1兎をも得ず」と同じ解釈になる。ただ、その前に「なぜ、人が虻や蜂を取ろうとするのか」と素朴な疑問が生じ、説明が説得力に欠ける。
虻や蜂を取り食べたがるものに「蜘蛛(くも)」や「小鳥」が想定される。ことわざの話の筋も通るので納得がいく。

「蜘蛛」だとすれば、網を張って獲物を待ち受けていたらまず虻がかかった。食べに行こうとしたとき、同時に蜂も網にかかった。そこで蜘蛛は先に蜂を食べようと向かった。その間に虻は逃げてしまい、あわてているうちに蜂にも逃げられてしまった、という話になる。
ただ、この解釈は理に適わない? 粘着性のある蜘蛛の巣にかかると、昆虫は脱出不可能では? 蜘蛛はあわてないでも2匹を食べる余裕があるはず? などと疑問符が付く。

「小鳥」だとすれば、「2兎……」と全く同じ意味で、つかまえて食べようと、小鳥が虻と蜂の両方を追いかけたが、どちらにも逃げられてしまった、という話になる。
同類に「虻蜂取らずたかの餌食」(虻も蜂も取れず、なおかつ鷹の餌になる)ということわざもある。「鷹の餌食」が省略されたので、意味がわかりづらくなった。この説のほうが説得力はある。
虻と蜂の両方を追いかけていた小鳥が、追いかけるのに夢中になって警戒を怠り、自分が鷹の餌食になってしまったとなる。「欲張って2つの事柄に夢中になると落とし穴が待っている。どちらも達成できないばかりか、周囲が見えなくなり、危険に陥り、果てには身を滅ぼしてしまう」という教訓である。
ところが、「虻蜂取らず蚊の餌食」ということわざもある。虻蜂が蚊の餌食になるのは考えづらい。主人公は人間で、虻や蜂を取ろうと草むらに分け入ったら、蚊に刺されて散々な目に遭うという解釈が妥当だ。そうすると、また前にあげた疑問に立ち返ってしまう。
これらについては、失敗した上、更に損することを強調するため、後に言葉を続けたものである、とされる。

ことわざ「虻蜂取らず」の初出は江戸時代の人情本とされ、理解の容易さからは「小鳥説」が、発想の面白さからは「蜘蛛説」が選ばれる。他にも説があるが、国文学者の金子武雄が「蜘蛛説」で説明し、この解釈が主流となっているようだ。
だが私は、やはり主人公は人間で、人や家畜にまとわりつき危害をも加える「虻と蜂」を両方とも一緒に退治しようする人が、どちらかの一つはおろか、両方とも取り逃がしてしまう、というのに親近感を持つ。

なお、「虻蜂……」と「2兎を追う者1兎をも得ず」とは意味が異なるという説もある。
別説の「虻蜂……」では、簡単に手に入りそうな物があるのに、少しだけ良さそうな別の物に手を伸ばし、簡単に手に入るはずだったものさえ失ってしまうようなことをいう。
別の「蜘蛛説」によると、蜘蛛は決して「両方を欲しい」と思ったわけではない。別の虻が網にかかったとしても蜘蛛はおそらく気に留めることはなかった。より美味しそうな蜂がかかったので迷いが生じた。つまり、「虻蜂……」は「高望みをして手近なものさえ失う」や「目移りしているうちにすべてを失う」という意味で使われる。
とすると、「虻蜂……」と「2兎……」は必ずしも同義ではない。
複数といっても虻と蜂の両方が欲しいわけではなく、蜂が手に入れば虻は取れなくても構わない。欲を出すという意味では同じでも、「虻蜂……」は質に関する欲であり、「2兎……」は量(または異なる複数目的)に関する欲である。
「目標を絞りきれていない」という意味では同じでも、「虻蜂……」は明らかに片方を「容易に取れる」とし、より良い方を求めている。これに対し「2兎……」は同等の両方を欲しいのである。虻と蜂では価値が違う。2兎には価値の差はない。

「虻蜂……」は、わかりやすさからか、明治期に入り一気に西洋の翻訳「2兎……」に主流を奪われてしまった。含蓄のある意味合いを含む「虻蜂……」も末永く残したいことわざである。
以上に、ことわざ「虻蜂取らず」については、意味や解釈がいろいろあることを紹介した。
その直後、その存在をほとんど知られていなかったと思われる専門家の記述を偶然見つけた。参考になり、裏付けの資料にもなると判断されるので、追記しておきたい。

蜘蛛研究の専門誌『KISHIDAIA』(東京蜘蛛談話会の会誌で同会が発行)第72号(1997年10月発行)収録の追悼文「大熊さんに送る言葉」(新海栄一記、13~15ページ掲載)の中で述べられていた。新海は、蜘蛛の分類等を専門とする研究者で、蜘蛛の生態写真撮影では世界の第一人者といわれる写真家である。
ことわざ「虻蜂取らず」は蜘蛛の行動から出たものらしいという話題が学界であり、当時、蜘蛛学者間でも関心が持たれていた。この経緯を述べ、新海自身が調べてわかったことを記している。以下の引用文は、新海の文章そのままではなく、筆者が内容を整理して紹介したものである。

「虻蜂取らず」の言葉の初出は、江戸時代後期の1820~30年ごろに活躍した為永春水等の人情本の中。「花の志満台4ノ19回」の中に出てくる会話「悪くすると虻蜂取らずにならうもしれねーや」(日本国語大辞典、小学館)である。
意味は「あれもこれもとねらって一物も得られない」(広辞苑、岩波書店)。この意味だけが、江戸、明治、大正、昭和と受け継がれ、肝心のことわざができた理由については全く伝わっていなかった。

1959(昭和34)年、ことわざの研究者である金子武雄が次のように発表した。
「人間が虻や蜂をわざわざ取ることは考えられない。これはクモが網にかかった虻を取ろうとしたところに、今度は蜂がかかり、蜂を取ろうと向かったすきに虻が逃げ、さらに蜂にも逃げられた状況を、だれかが見ていて言ったものである」(筆者注:出典不記載)
この説については賛否両論あったようだが、現在(同:1997年ごろ)では主流を占め、『成語大辞苑』(主婦と生活社。同:大辞典とあった誤記を訂正)など多くの出版社(同:記載7社名は省略)の「ことわざ辞典」にとりあげられている。
私(同:新海)も、蜘蛛が取り逃がした2実例を観察している(同:要旨。詳細具体例は省略)ので、金子説は十分信憑しんぴょう性があると考えている。

以上を手掛かりに、筆者も更に確認追究をした結果、新海の記述を補充・明確化する必要のある事項が判明した。
「虻蜂とらず」の由来は……と、図書館通いをしているうちに、山深く分け入る探検のようなわくわく感にとらわれてしまった。新海の転載ミスや引用不足についての修正・補充にとどまらず、視点を由来考究に切り替えて、資料探しを試みることにした。

このことわざに蜂(と虻)が出てくるのには理由があるのでは? 遠い昔、このことわざを生んだ逸話があるのでは? 蜜蜂絶滅の危機説とつながってくるのでは? などと想像がふくらむ。
あまりわかっていない由来を少しでも明らかにしたいとの思いが募る。由来の解明は「物事の起源とするところや物事が今までたどってきた経過」を明らかにすることである。

「虻蜂取らず」は、今のところ、そもそもの起源がまったくわかっていない。だから、言葉(文字表現)そのものからは、意味が今1つピンとこないのである。
ただし、少しずつかも知れないが、たどってきた経過はわかるはず。使われた用例を見つけ、比較検討することで、過去にさかのぼることは可能だ。頂上に至る裾野の探索はいっぱい残っている。新海の記述の確認の過程で、このことに気づかされた。
ともすれば、用例の1つにすぎないものが、思い込みで起源(源典、初出)扱いにされがちになる。わかった気が更なる追究の気力を弱める。
「虻蜂取らず」の場合にも、そんな一面があり、その時点の資料を説明に使い、わかったつもりや語源や由来は不明と割り切る気持ちにつながっている。

読み返すと、筆者(私)が書いた「『虻蜂取らず』の意味」もその例に漏れない。
これから取り上げる資料も、素人の思い付きでやることだから、高が知れている。すぐに底を突くかも知れない。だが、少しでも何かがわかり、検討の材料や刺激となって一歩前進に貢献できたら幸いだ。そんなささやかな希望を込めて踏み出したい。
「虻蜂とらず」にならないよう、まずは新海の記述の検討に限定してやってみる。改めて、先にあげた新海記述「大熊さんに送る言葉」の一部を直接引用する(以降「新海記述」と略す。句読点と記号類は変更)。

「虻蜂取らず」の言葉が最初に出てくるのは、江戸時代後期の1820~30年頃に活躍した為永春水等の人情本の中の、花の志満台4ノ19回中に「悪くすると虻蜂取らずにならうもしれねーや」という話しが出ています(日本国語大辞典、小学館)。

国立国語研究所所蔵の筆耕木版印刷本の出典に直接当たってみた結果、該当部分の記述は「悪るくすると虻蜂とらずにならふも知れねへやス」(漢字には振り仮名あり)であった。
小学館発行『日本国語大辞典』の1972年第1版と1979年第2版の第1巻は、人情本・花の志満台・4・19回「悪くすると虻蜂取らずに、ならうも知れねえやス」であった(2006年精選版第1巻では、人情・花の志満台(1836-38)4「悪くすると虻蜂取らずに、ならうも知れねえやス」に修正)。いずれも、「虻蜂」には片仮名で振り仮名あり。

引用元本の書名は、正式には『比翼連理花廼志満台』で、略称なのか、表紙が『花の志満台』の場合もある。全4編で、初編は1836(天保7)年、2編は1836年、3編は1837年、ことわざの書かれている4編は1838(天保9)年の刊行である。
ことわざの収載部分は『比翼連理花廼志満台第4編巻之上第19回、松亭金水編次』となっている。
繰り返しになるが、新海栄一の記述にも『日本国語大辞典』にも明記されていない事項を含めて整理すると、ことわざ「虻蜂とらず」の収載本は次の書誌となる。

松亭金水作、歌川国直画『比翼連理花廼志満台(花の志満台)』第4編の上第19回、1838年刊(国立国語研究所などが所蔵し、画像公開もしている。板元は江戸の丁子屋平兵衛または不詳)
なお、作者の松亭金水(しょうてい・きんすい、1797~1863年)は江戸時代後期の人情本などの作家。新海栄一のあげた為永春水の弟子である。

これで確認できたことは、1838年には「虻蜂とらず」の用例があった(初出とは言い切れない)こと、いま主流の「取らず」の漢字書きは、昔は「とらず」の平仮名書きだったこと、の2点である。

新海記述は、前の引用に続いて次の文が載っている。

虻蜂取らずの意味は「あれもこれもとねらって一物も得られない」(広辞苑、岩波書店)ことですが、この意味だけが、江戸、明治、大正、昭和と受け継がれ、肝心のことわざが出来た理由については全く伝わっておりませんでした。

意味は、最も権威ある辞書とされる岩波書店の『広辞苑』の説明を採用している。この辞典は、第1版を1955年5月に、最新の第7版を2018年1月に発行(筆者注:投稿当時)。全版に見出し項目「虻蜂取らず」があり、説明の「あれもこれもとねらって一物も得られない。欲を深くして失敗するのにいう」は一貫して変わらない。(第1~2版では「失敗するにいう」と「の」が抜けているが、誤植による欠落と推測される)
1997年10月の新海記述は、2つあげられている意味の1つを省略しているが、後者の「欲を……」も重要な意味である。
伝承については、その後の平成、令和も含めて、そのとおりであり、意味理解の不十分さや違和感などはこの点にあると思われる。

続く文は、次のとおりである。

ところが昭和34年(1959年)にことわざの研究者である金子武雄氏「人間が虻や蜂をわざわざ取ることは考えられない。これはクモが網にかかった虻を取ろうとしたところに、今度は蜂がかかり、蜂を取ろうと向かったすきに虻が逃げ、さらに蜂にも逃げられた状況を、だれかが見ていて言ったものである」と発表したのです。

この部分は重要で中心をなす記述であるが、唯一、引用元が記載されていないので、文献等の確認ができない。先に書いた「『虻蜂取らず』の意味」でも「(筆者注:出典不記載)」とした。
国文学者で元東京大学教授の金子武雄(1906~83年)が、国文学の深い学識を背景に、多面的に日本のことわざの研究に取り組み、画期的な総括的業績を残した当時の第一人者であることは、周知の事実である。「虻蜂とらず」の蜘蛛(クモ)説を唱えた最初の人であろうことも、ほとんど疑う余地のないことである。
にもかかわらず、肝心の最初の文献が示されていない。当初、出典不記載は記載漏れと思ったが、実は、当の新海栄一が該当文献等を確認できなかったから不記載とせざるを得なかった、と判断するに至った。
筆者は、出典を明らかにしたいと思い、ネット検索でキーワードを変えていろいろ試みた。いくつも同様な記述がでてきても、肝心の引用元が判明しない。
現れるのは「昭和34年(1959年)、国文学者の金子武雄氏の発表により、虻や蜂を取ろうとしているのは、蜘蛛(くも)だと解釈するのが主流」と記す酷似の説明ばかり。2019年11月中旬(筆者注:投稿当時)でも大同小異である。
最近のことわざ研究の第一人者・北村孝一でさえ、1986年刊の当該本の朝日文庫版末尾「解説」で「最初に上梓されたのは1959年から62年にかけて……」と書いている。
推測されるのは、掲載した文献のどれかが早い時期に発表年の間違いをし、他の文献はその誤記にとらわれて、孫引きを繰り返したのではないかと思われる。

こだわっていた「1959年」をはずすと、検索結果の様相は一変した。
結果的にたどり着いたのは、1958(昭和33)年6月1日初版発行の金子武雄著『日本のことわざ(一)評釈』大修館書店刊、23~24ページ掲載の「虻蜂とらず」である。(全5巻の完成は1961年9月20日。この名著は、1982年に再刊、1969年と1986年に文庫版も発行)
わずか1年、文献の発表年を間違っただけなのに、出典の明記がこれほど長期間混迷した例は珍しい。

金子の著書の説明は長いので、まず、冒頭の部分を引用する。

虻蜂(あぶはち)とらず
「虻もとらず蜂もとらず」が原形である。このことわざは2つのものを共に手に入れようとして、結局どちらも手に入れられなかったような時に、批評のことばとして用いられる。ところで、このことわざの原義はどういうのであろうか。虻や蜂を人間がとろうとしたものだとは考えられない。……

この記述を読むと、新海記述は金子記述の直接引用ではないと判断できる。
ここで推測した変化は、あくまでも大筋においてであるが、「あぶもとらずはちもとらず」→「虻もとらず蜂もとらず」→「虻蜂とらず」→「虻蜂取らず」と、短小化・漢字化の流れである。
なお、同類の「虻蜂取らず鷹(蚊)の餌食」については、後半が省略されて「虻蜂取らず」になったというよりも、他のことわざとの混同で、逆に「虻蜂取らず」に後半が加えられたものと推測される。

直前に、金子武雄の著書から、このことわざの原義についての引用「……虻や蜂を人間がとろうとしたものだとは考えられない」を示した。さらに部分的に省略して、本文を引用する。

……これは蜘蛛(くも)のことではなかろうかと思われる。蜘蛛が網を張っていた。そこへ蜂がかかった。蜘蛛はこれを捕らえようとして、糸を出して巻きつける。しかしまだ完全にその自由を奪ってはいない。またそこへ虻が網にかかった。(一部略)蜘蛛はひとまず蜂をそのままにして虻に向かって糸を巻きつける。しかしこれもまだ充分に自由を奪わないうちに、蜂が逃げ出しそうになった。あわてた蜘蛛が虻から離れて再び蜂に立ち向かおうとした時、すでに遅く蜂は糸から逃れて飛び去った。しまったと思った蜘蛛が虻だけは逃がすまいと思ってこれに向かって行った時、これもすでに遅く、虻ももがいて逃げ去ってしまった。

この部分の新海記述を引用する。

金子武雄氏は「人間が虻や蜂をわざわざ取ることは考えられない。これはクモが網にかかった虻を取ろうとしたところに、今度は蜂がかかり、蜂を取ろうと向かったすきに虻が逃げ、さらに蜂にも逃げられた状況を、だれかが見ていて言ったものである」と発表したのです。

二つの文章を並べてみて気づくのだが、蜘蛛の網に先にかかったのは、元の金子の著書では「蜂」なのに、引用の新海記述では「虻」になっている。新海記述が「ことわざ辞典」からの引用だからであろう。

筆者(私)を含めて、ことわざ辞典なども、このことわざを述べるとき、金子の蜘蛛説に基づきながら、網に先にかかったのは「虻」だとしている。私が調べた文献類で「蜂」が先にかかったとするのは金子の文献だけであった。
「虻蜂とらず」の語順が「虻、蜂」となっているので、先にかかったのは「虻」との思い込みがあるからか。前後の順は虻と蜂のどちらでもいいのかも知れない。
だが、虻と蜂では価値的に差異があり、より良い方を求めた(欲を出した)という解釈もあることは、既に「『虻蜂取らず』の意味」で述べた。蜘蛛説において、欲深さの結果起こる失敗を説明しているとすれば、説得力は「蜂」を先に置く方が強い気がする。
基にあったのではないかと想像される逸話の存在と共に、今後の追究課題として、あえて指摘しておきたい。

新海記述は次のように続く。

この説については賛否両論あったようですが、現在では主流を占め、成語大辞典(主婦と生活社)はじめ、小学館、成美堂出版、梧桐書院、あすとろ出版、集英社、ナツメ社、日本文芸社他、多くの出版社の「ことわざ辞典」にとりあげられています。

蜘蛛説について「賛否両論」があったとする具体的内容は不明であるが、虻や蜂をとろうとした主体は蜘蛛のほかに小鳥、蛙、人間だとする説もあるので、そのことを指しているのかも知れない。
新海は1997年当時に発行されている多数の「ことわざ辞典」を調べ上げ、蜘蛛説が主流であることを確認している。

新海記述は、次のように述べ、この話題を結んでいる。

私も大磯高麗山でアシナガバチとツクツクボウシを逃がしたジョロウグモを、八王子市小下沢ではガガンボとガを逃がしたコゲチャオニグモなどを観察しているので、金子説は十分信憑性があると考えています。

蜘蛛研究の専門家であり、蜘蛛の生態を撮影している写真家でもある新海は、複数の獲物を蜘蛛が同時に捕り逃がした現場を実際に観察したことがあり、実体験に基づいて金子の唱える蜘蛛説は信用できる、としたわけである。

ついでに加えれば、金子の記述には、次のような説明も書かれている。(一部分省略)

どちらか一方だけに専念すれば、一つだけは捕らえることができたのに、両方をえようとしたばかりに、どちらも捕らえることができなかった。こんな情景を見た人間が、人の世の同じような事象に思い当って生んだのが、このことわざなのではなかろうか。
どんなものでも、力を2分すれば、1つ1つの力は弱くなるにきまっている。数多くの事物を望み過ぎて、結局、獲得のところが少なくなったり、無になったりする例は、世の中にしばしば起こることである。
……人間の世の中は複雑である。虻も蜂も共にとることのできる場合もある。だからそれにひかされて、人間はなん度も失敗を重ねるのである。こうして「虻蜂とらず」ということわざは、永遠に生きて行くであろう。

新海栄一は、このことわざを追悼文の中で触れた。蜜蜂の絶滅と人類の滅亡の予言が脳裏をよぎる。「虻蜂とらず」の由来の探究は、やぶに一歩踏み入った段階でいったん終了する。

追記
その後の状況を追ってみると、2021年8月11日更新の『ウィクショナリー日本語版』は、「虻蜂取らず(あぶはちとらず)」は「同時に複数のものを手に入れようとすると一つも手にすることができないということ」とし、次の例をあげている。
「いくらよい品を作っても、そう急に認められるものではないし、相当永い間の辛抱を要する。だからたいがいの人が辛抱しきれなくなって最初の方針を破ってしまうのだが、そこで方針をかえるということは、結局今までの犠牲が虻蜂とらずに終るばかりでなく、かえって信用をおとす結果となる。(相馬愛蔵『私の小売商道』)」(この本の初版は、1952年11月25日、高風館から発行された)
インターネットの『語源由来辞典』には、「虻蜂取らずの類語・言い換え」が多数記載されている。

(2018年11月1日、2019年10月7日~11月14日、ウエブ掲載欄『蜂蜜エッセイ』第3・4回掲載分合作、一部加除)

 

05-2. 公募エッセイの穴場

 


だいぶ前のことだが、各種公募の情報を提供する雑誌『公募ガイド』の2019年10月号に「優良公募なのに応募は多くない穴場公募」という記事があった。応募数に影響する要因として、賞金や賞品の魅力、テーマのしばり、権威ある著名人の審査などをあげ、読者に穴場公募への応募を奨励する企画であった。
記事の中に「エッセイ、体験記、作文」の類と思われる「応募数少ないランキング」の第1~5位も示された。「蜂蜜エッセイ」が第1位で、応募数は36(ちなみに、2位70編、3位88編、4位111編、5位199編と記載)とあり、「賞品がアカシア蜂蜜2.4キログラムだけなのが原因か」との説明も付記。つまり、同エッセイは優良公募ではあるが、魅力を感じるだけの賞品が贈呈されないから応募者が少ない、という見解のようだった。
応募数36という少なさに疑問を抱いた。早速、実数を確かめるために、公表されている「蜂蜜エッセイ」の各年度の作品を数えてみた。第1回の2017年度は213編、その後は2018年度99編、2019年度133編、2020年度は途中の2019年8月末の時点(締切日は次年2月20日)で63編であり、どの年度の応募作品数も36を大幅に超えていた。
同誌の趣旨のようなデータ比較は、通常は直近年の確定数値でおこなうはずである。1~5位が同じ19年度のものだとすれば、蜂蜜エッセイの場合は公募ガイド掲載数の3.7倍の133であるから、実際のワースト順位は4位だったことになる。
別の算出方法による数値なのであろうか。どんな基準や起算によったのか興味津々、着眼点に好奇心をかきたてられた。これは関係者に直接聞いてみなければわからない。そこで、何を根拠にした数値か、『公募ガイド』の編集者と「蜂蜜エッセイ」の広報担当者にメールで問い合わせてみた。
両方にメールで照会をしたのだが、後で送った方の回答が先にきた。鈴木養蜂場はちみつ家のWEB担当者からで、概要は次のようなものだった。
「応募数少ないランキング」に掲載されているとは全く知らなかった。公募ガイド側からは何の連絡もなかったので、おそらくその編集部の判断で掲載したものと思われる。当方が応募数をお知らせしたという経緯は全くない。そして「当方では特に苦情を言うつもりはありませんし、そのまま放っておくつもりです」との付記も。
先にメールし、1週間後にも再照会をして、回答を得たのは公募ガイド編集部からだった。メールでの応答を繰り返えして知った内容から推察すると、おおよそ次のようなことだったらしい。
真相はWEBサイト「蜂蜜エッセイ」に載せられている(募集中の)公表作品数を数えた結果が36だったという。2019年3月下旬に募集を開始し、2020年2月20日が締め切りなのを確認しなかった(?)。開始から3か月後の6月下旬までに公表された分を7月ごろ数え、それを掲載した。応募数は、募集初期は少なく、締切日間際が多いのが通例。締め切り後の確定数を使うのが常識と思うのだが……。
 応募数少ないランキング第2位に挙げられた体験賞は3年も前の資料だった。回答を寄せた責任者は「応募の少ない穴場を紹介するという趣旨でした。少ないほうが応募者にとってはいい面もあります。もちろん、少ないからだめとも思いません」と言い訳にもならない釈明。興味津々で調べたが、結果はお粗末な凡ミスとわかり、がっかりした。『公募ガイド』2019年11月号は、末尾の「INFORMATION」で「お詫びと訂正」を載せた。
「本誌10月号特集P21にて『蜂蜜エッセイ』の応募数を36編と記載しましたが、これは133編の誤りでした。お詫びして訂正します」
私の照会に対して、責任者から「誤記ですので、次号にて訂正文を出す予定です」との回答があり、それは実行されたが、記述はこれだけで釈明はない。「応募数少ないランキング」の第1位が「蜂蜜エッセイ」であるとした見解に対する修正も、記事の補正もなかった。しかし、愉快なことに、誤り記事の宣伝効果抜群だったのか、同エッセイの応募数はその後大幅に増えた。そして、思わぬ形で一石を投じた。
なぜその後も大幅に増え続けたか。この事実は、応募数に最も影響する要因とされる「賞金や賞品の魅力」とは異なる反響である。作品募集にはオリンピック同様に参加することに意義があり、入賞作に限らず、ほとんど全作品がWEB上で応募順に無料で公表されることが、この募集の最大の魅力と認められたからだと、私は受け止めた。
高額賞金、有名作家賞、高文学水準などを標榜し、最高賞該当なしを繰り返す募集もある。何百、何千もの応募数のものもあって、多くの場合、駄作として日の目を見ることがない募集がほとんどである。質の高い作品を目指すことは当然のことであろう。
それはそうとして、特に高齢者の健康維持と豊かな精神生活を送るために、身体を動かし楽しむ場が求められるとともに、脳を働かせ楽しめる場があっていい。それはひとえに様々な気軽な作品発表の場である。多くの人に読んでもらいたいとの希望もあるが、たとえ稚拙な文章であっても書いて残しておきたい事柄があり、その願いがかなうことが応募者の本音の場合もあると思われる。それは満足感が満たされる掲載の穴場であろう。
ついでに余計な話を付け加えれば、私が「応募数少ないランキング」の第1位を挙げるとすれば、『公募ガイド』の「webおたよりコーナー」である。
これは同誌が新企画・大募集とうたって募集した「【テーマ】公募や創作に関することであればなんでもOK、【文字数】400字~600字程度、【採用】毎週、数名採用。採用者には公募ポイント100Pを進呈。(その他の記載省略)」である。
募集は2018年4月に開始。掲載文は、4月17日に2編、5月2日に3編、6月12日に2編、6月15日に1編、合計8編。受付期間を明示していないのに、確か3か月経過後の6月末だったと記憶するが、突然「おたよりの受付は終了しました。沢山のおたより、ありがとうございました」となった。
毎週、数名採用のはずが、13週で8編とはこれ如何に。まさに「同第1位、賞品が公募ポイント100P(自社商品購入代金100円引き)だけなのが原因か」にふさわしい。
そんな経験があって企画された記事だったのかもしれないが、たぶん、この第1位は将来にわたって揺るがないだろう。
(2022年2月18日、個人仮想作品集『無意根山を望む窓』収録)