ミヤマキリシマ 花だより (その10)
「二組の母娘」(by あひる)
以前わたしが幸奈と話をしていたとき、実母がぽつりとつぶやいたことがあった。
「あなた達は、いいわね、そんなに楽しそうに話ができて……。わたしには、そんなことできなかった」
その母の言葉は、わたしと母のことだと思っていたが、今になって推し量ってみれば、母と祖母のことだったようにも思える。
母方の祖母は地主の末娘で、長女は宮中にお仕えしたことがあるほどなので、かなり良い家柄だった。
実母が祖母を産んですぐに亡くなり、後妻はあまり良い人ではなかったようで、祖母が成人したとき、後妻に実家から追い出されてしまった。
祖母はもともと幼い頃から後妻にはなつかず、下男と山に芝刈りに行く方が楽しかったと聞いたことがあった。
祖母は母親の愛情を知らずに育った人だったのだ。
母はその祖母に育てられた。母娘の間には軋轢がありすぎて、「お母さんは、女の子を育てるような人じゃない」と泣いて悔しがったこともあったそうである。
母には兄と二人の弟がいた。だから家族は男が四人、女が二人ということになる。祖母と母とは女同士である。ところが二人はなかなか心が通わず、唯一の女性の身内に相談事もできなかったと母はわたしに嘆いて言った。
わたしから見た祖母は憧れの的であった。
祖母は何事につけ男勝りで社交的、リーダーシップもあって戦争未亡人会の会長まで務めた。いつも和服をピタッと着こなし、かくしゃくとしていて品格があった。
わたしは母より祖母の性格のほうが似ていることもあり、構いすぎない祖母の家は居心地が良かった。母と祖母の関係よりも、私と祖母の関係の方が、遠慮がなかったように思える。思い起こすと、確かに、祖母と母が楽しそうに話している様子は見たことがなかった。
もともと二人ともあまり笑わない人だった。
祖父はウランバートルで戦病死したそうだ。残された家族は満州から引き揚げ、戦後は相当辛い生活だったようだ。
母にとって祖母は神様のような存在で、幼いころ祖母がトイレから出てくるのを見て、母親も用を足すのだと驚いたことがあったと聞いたことがあった。
わたしと幸奈の関係からは想像もできない親子関係だ。
わたしや妹も、母と笑いながら話をしたことがあっただろうか。神様とまではいかないにしろ、両親というものは尊敬すべき存在で、友達のように話せる存在ではなかったように思う。
しつけにも厳しく、笑わない上に毒舌の母は、とても笑いながら話せる存在などではなかった。
わたしと幸奈も、幸奈が小さい頃から、よく話をしていたわけではない、おしゃべりなわたしとは反対に幸奈は高校生になるまでは無口な方だった。
幸奈は二人の子供を産んでから、ずいぶん変わった。
特におテンバで、よく喋るひよことのバトルはすさまじい。わたしと似ているひよこが、幸奈に叱られると、わたしは自分が叱られているような気分になる。わたしも小さいころひよこみたいな女の子だったと言うと、幸奈は、そんなことは信じられないと言う。真面目な性格の幸奈には、おふざけ大好きなわたしやひよこの事は許せないらしい。
とはいうものの、小学三年生になったひよこは、かなり生意気になって、わたしも時々やり込められる。
ふと神棚の母の写真に目が行った。私は母に向かって、
「お母さん、やっぱりわたしもひよこのようでしたか」
と問いかけた。
遺影の母は、少し微笑んでいるようにみえた。
「カエルの子はカエル?」(by ゆきな)
娘のひよこは小学生になり、わたしよりもしっかりしてきた。マイペースで、おっとりした性格のわたしを引っ張っていってくれる頼もしい存在だ。
最近、買い物に行ったときのことだ。レジが行列になっていて、人が多いところが苦手なわたしは並ぶのをためらった。買うのを諦めようとしたとき、横でわたしの様子をみていたひよこが、
「ひよこが買ってきてあげるよ」
とレジに並び商品を買ってきてくれた。娘のレジに並ぶ後ろ姿はたくましく、わたしの母の後ろ姿に似ていた。
わたしの母は社交的で、なんでも一生懸命やる人だ。
よく学校の役員も引き受けていた。わたしは小さい頃からそんな母が憧れだった。人見知りがひどく、内向的なわたしは、いつも母に背中を押されて行動してきた。
今になって母に話を聞くと、そんなに得意ではないがなぜかやらねばならないという脅迫観念があり、やっていたらしい。わたしは、わたしにやらせたら、皆さん後悔するぞ! という開き直った気持ちで、いつか時がくればやるつもりでいる。
わたしはわたしも母親になれば、母みたいに強い人になれると思っていたが、ひよこが生まれてもう八年経ったけれど、とても母のようにはなれそうにない。
母からもひよこからも、「しっかりして」と言われる。
わたしから生まれたはずのひよこは、なぜか母にそっくりである。活発さと、たくましさが羨ましい。
マイペースで、何事にも慎重になってしまうわたしに似たのは息子のまめだ。まめは靴を履くのも、食事をするのもゆっくりで、人が多いところは苦手だ。マイペース過ぎて腹が立つこともあるが、それでも周りのペースに流されることなく自分のペースをくずさない。
それが、まめである。
ひよことまめは姉弟なのに、性格もまったく違う。
二人がこれからどんな風に成長していくか楽しみである。
😳 電子音声朗読 (← CLICK!)