ミヤマキリシマ 花だより (その14)
「別れ」(by あひる)
まめくんへ
さびしいきもち
わかるけど
しょうがっこうにいっても
がんばってね
卒園式のあと、誕生月がいっしょで、とても仲良しだった友達から手紙をもらったまめ。
彼が翌日県外に引っ越すと知ったまめは、昼食をとるために訪れていた近所のカフェレストランで急に泣き出した。カフェレストランのオーナーに「大きくなったらきっとまた会えるよ」となぐさめられ、どうにか泣き止んで好物のオムライスをたいらげた。
卒園式のあとも登園していたまめ。とうとう3月30日、最終日の迎えの時間、私と一緒に迎えに行ったひよこと、ひよこの友達6人がはしゃぐ中、まめだけは担任の先生との別れが切なくて、自宅まで大泣きしながら歩いた。2歳前に入園したとき新人教諭だった先生が、いまは年長組の担任だった。おむつがはずれる前からお世話になったことなど思い出し、小学校の制服姿を見せに来てねという先生に、コクリとうなづくまめの姿を見て、私まで目頭が熱くなった。
歩いて5分で行ける距離の保育園だけど、やはり別れは切ないものだ。
私の人生においても主人の転勤で何度も引っ越しを繰り返し、別れと出会いを繰り返したが、中には不思議な出会いがあった。
長男の広輝が小学6年生の時、修学旅行で新しい友達ができたと報告してきた。
「旅行で行った遊園地でね。転校してきたばかりの男子が、お化け屋敷に一緒に入ってくれる子を探していたんだ。その子と僕は違うクラスなんだけど、僕は一緒に入ってやって友達になったんだ」
とのこと。私はその友達の名前を聞いておどろいた。
2年前に病気で亡くなった私の友人の息子さんだったのだ。
広輝とその子は、ハイハイをする頃、当時住んでいた住宅でよく遊ばせていたが、2歳になる前、それぞれの父親の転勤で引っ越し、会えなくなった。私と友人は引っ越した後も電話で話はしていたが、友人が入院中に見舞いに行った後、連絡がとれなくなった。
一年後の友人のご主人から届いた喪中葉書で、友人が亡くなったことを知った。
その数年後、ご主人は友人が闘病中にご主人の支えになった方と再婚して、新しい生活のために私が住んでいた街に引っ越して来たことがわかった。
広輝からこの話を聞いて不思議なめぐり合わせに驚き、ご縁を感じたものの、死んだ友人の話はしばらく黙っていることにした。
やがて広輝が中学生になり、その子と同じクラスになった。
家庭訪問のときに担任の先生から、その子の新しいお母さんが、亡くなったお母さんが描いた油絵を大切に飾ってくださっているという話を聞いて、私はほんのりと心が暖かくなった。
「まめくん小学生になる」(by ゆきな)
今年の4月から、まめが小学生になった。
「小学校、たのしみ!」
と、行くのを楽しみにしていた。小学校の制服が届くと、毎日制服に着替えて、ランドセルまで背負ってみせていたまめであったが、小学校に入学して1週間。
「小学校めんどくさい」
と言い出した。
まめが思い描いていた小学校生活とは違っていたようだ。
「保育園に戻りたい」
と嘆くこともある。
姉のひよこが小学生になったばかりの頃は、小学校に行くのを毎日楽しみにしていた。
「土日も学校に行きたい!」
と言っていたほどだった。
そんなひよこを見ていたので、まめの反応には戸惑ってしまっている私である。
まめの小学校生活は、朝6時半に起き、7時半ごろには、姉のひよこと、親戚の子ども達とにぎやかに登校する。お昼過ぎには下校し、すぐに宿題を終わらせて公園に遊びに行く。
夜は9時に就寝。
私からしたら、まめの生活は毎日充実していて、羨ましく感じる。
まめはひょうきんな性格で、いつも周りを明るくしてくれる。そんな彼だからこその悩みもあるのかもしれないと思った。
入学してから2週間が経ち、視力障害のあるまめは支援学級に通い始めた。支援学級での学習は楽しいようだ。友達の話もするようになった。
ちょうど小学校に慣れた頃、幼稚園からの友達と遊ぶ約束をしていた。
うちで沢山遊んで午後5時になり、友達を家まで送りに行った。まめとひよこは、
「お友達を家まで送ってくる!」といったきり帰ってこない。そのうちひよこが息を切らして帰ってきた。まめと友達が家とは全く違う方向に走っていってしまったというのだ。
急いで走って行った道を探したが、いない。お友達の母親にも連絡をし、手分けして探したがみつからない。30分ほども過ぎた頃、家の方から「おーい」と元気に手を振るまめたちがいた。
「ママたちがいないから迎えに来たよ。」
まめは自分が迷子になっていたとは、思っていないようだ。
その時の、まめと友達の表情は、やりきった自信溢れる表情だった。
「いってきます」
今日も元気に登校する、まめ。
これからの小学校生活が楽しくなりますように!願う私であった。
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