あひる&ゆきなリレーエッセイ集


 

ミヤマキリシマ 花だより (その4)

 

 

「七夕まつり」(by あひる)

 

めでたい……二重、いや三重にめでたい。七月七日はあひると幸奈の誕生日なのだ。私は今年還暦になる。還暦を華甲かこうと言うと最近知った。

華甲といえば、私は華子はなこと名付けられたかもしれなかったという話を、いぜん父から聞いたことがあった。しかしなぜ今の名前に変えたのかは聞いたことがなかった。

最近、自分の時間が多く取れるようになり、あれこれと思いをめぐらせている。もし華子だったら、どんな運勢だったかと占いを見てみると、旧姓でも今の姓でも、華子のほうが数倍良い運勢だということがわかった。どうして華子にしてくれなかったの~ と、父を恨めしく思う。

しかし両親は、私と妹を大事に育ててくれた。

過保護ともいえる両親から、私が精神的に脱皮したのは四十七歳の頃のこと。私の長男の言葉がきっかけだった。そのころ幸奈が山口の大学、長男の広輝が福岡のミュージック専門学校に行っていたので、子供たちとの連絡は、もっぱら携帯電話に頼っていた。

私に小説出版のお誘いがあり、いつものように両親は喜んで賛成してくれるだろうと思い、報告に行った。その日は黙って話を聞いていた両親は、翌朝六時に私のマンションに来て、まず父が厳しい声で、

「お前のような世間知らずで幼稚な人間が、小説の出版などできるはずがない、どうせ詐欺にでも引っかかったのだろうから、その話はお断りしなさい」

と断言した。母は母で、

「あなた、何でもかんでも自分の思いどおりになると思ってはだめよ」

と心配顔で言った。

自分が要領の悪いことは認めるし、結婚後も転勤の多い主人の引っ越しの手伝いや、子育ての手伝いなどで、両親にはずいぶん世話になってきたが、あまりの言葉に私は激怒した。

「わたしは絶対に小説の出版をあきらめません!」

そう宣言する私に両親が呆れかえって帰ったのち、たまたま幸奈から電話があった。泣きながら両親のことを訴える私に、

「お母さん、良かったじゃないの! それで出版にはいくらかかるの? そこが大事でしょう! いま、うちにはお金なんかないよね? 」

と、幸奈はとても現実的なアドバイスをくれた。

そのすぐあとに、なぜか広輝から電話があり、

「母さん、いい年なのに、なんで親に許可とるの?」

そうだ、確かにそうなのだ。四十七歳にしてようやく目が覚めた! 学習塾のスタッフだった私は、単身赴任の主人にローンの保証人になってもらい、人生初の小説出版をした。でき上がった本を両親に届けると、

「ついにわが子が小説家になったかー」

と、出版前に私を叱った詐欺の話など、いったいどこへやらの様子だった。

 


 

 


 

「何度でも生まれ変わって挑戦」(by ゆきな)

 

それにしても広輝は昔から自分の考えをしっかり持っている。優柔不断で人の意見に流されやすい私の性格とは正反対だった。

広輝は二年前に結婚し、夫婦で東京に出た。

現在は二匹のかわいい猫たちと、平和に暮らしている。

私もときには都会に出たいと思うこともあったが、都会は物騒だという先入観があり、結局、田舎暮らしにどっぷりと浸かっている。私から見ると広輝の生活は憧れであり、夢のような生活である。

私の現実はといえば、元気すぎる二人の子どもたちにふり回され、毎日があわただしく過ぎていく。穏やかな性格だと自分で思っていたのが嘘のように、イライラしてしまう日がある。そんなときは、

「ママの顔、オニみたい」

ひよこが私の顔をじーっと見つめて言うのだ。はっとさせられる一瞬である。

私は高校生のころ吹奏楽部に所属していて、オーストリアのウィーンまで遠征に言ったことがある。そのころは必死に練習したトランペットも、結婚してからはずっとクローゼットにしまい込んでいて、すっかり忘れていた。

ある日、ひよこがクローゼットでトランペットを見つけた。「ママ、吹いてみて」というので十二年ぶりに吹いてみた。しかし、「ぷへーん」と情けない音しかせず、思いっきりホコリを吸い込んでむせてしまった。

「ママ、練習が必要だね」

ひよこの言葉に、私は無言でうなずいた。

生まれた日のことを誕生日という。誕生日には何度でも生まれ変わった気持ちになれると思う。だから私は、いくつになっても、あらたな挑戦を続けていきたい。

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