ミヤマキリシマ 花だより (その6)
「広輝兄ちゃんと翼ちゃん」(by あひる)
息子の広輝が、初めて嫁の翼さんを我が家に連れてきた日のことである。ひよこにとって広輝は叔父にあたるわけだが、ふつうの叔父と姪の関係以上になついていて、むしろ母親の幸奈のこと以上に広輝が大好きなのであった。私はひよこが翼さんにヤキモチをやくのではないかと、少々心配していた。
ところが案に相違して、ひよこは翼さんを大歓迎したうえに、広輝以上になついてしまったので驚いた。
あれから二年経ったいまでも、ひよことまめは、広輝兄ちゃんと翼ちゃんと呼んで親しくしている。翼さんから電話がかかってくると、ひよことまめは半狂乱のようになって大喜びする。そのあげく、どちらが長く話すかで喧嘩をはじめるのだ。その喧嘩はだんだんとエスカレートして、ついにはドッタンバッタン、大激戦になったあたりで、
「いいかげんに、やめなさい!」
幸奈の雷が落ちてやっとおさまる。
あるとき広輝との電話の途中で、「ニャー」とかわいい鳴き声がした。私はツンかな? プンかな? と聞き耳をたてた。ツンとプンは広輝夫婦のところの、かわいい同居猫ちゃんだ。
おとなしいメスのツンと、怖いもの知らずでやんちゃなオスのプン、二匹の写真を見るとツンに甘えるプンの姿がほほえましい。また、広輝夫妻が二匹に向ける愛情の温かさが伝わってくる。
はじめは別々の部屋で飼われていた二匹だが、最近おなじ部屋で暮らすようになったらしい。ご対面のタイミングなどいろいろと工夫も必要だったようだ。
幸奈と広輝は三歳違いの姉弟だが、広輝が高校生になった頃から、広輝のほうが年上に間違われることが多かった。広輝が体格的に立派なせいもあったろうが、おとなしくて甘えん坊に見える幸奈に比べて、積極的でしっかり者に見える広輝のほうが兄に見えたのだろう。
あくまでもみかけのこと、現実は様々である、それぞれ歳を重ねるごとに変わっていくのが面白くもある。
ひよこは怖いもの知らずでやんちゃな性格が、顔つきにも現れていると思う。ツンとプンにたとえて言えば、まさにプンだ。まめはひよこの影響で家の中では活発なのだが、じっさいの性格は幸奈に似て、外に出ると男の子にしてはおとなしい方らしい。
ひよこに鍛えられながら、たくましく育つことができればいいのだが……。
今年二月の初午祭には、主人の母の強い希望で、広輝と翼ちゃんが帰省してくれた。そのあとのコロナ騒ぎを考えるとギリギリで良いタイミングだった。いまも二人は東京で元気に暮しているが、早くコロナ騒動がおさまって、またみんなで楽しく過ごせる日が来るようにと祈っている。
「シナモンの死」(by ゆきな)
わが家で二年前から飼い始めた金魚は二匹で仲良く金魚鉢の中を泳いでいた。小さくて金色の金魚は、まめがエグゼイドと名前をつけ、赤と黒のぶちのある金魚は、ひよこがシナモンと名づけてかわいがっていた。
金魚には胃袋がないから、えさは多くあげなくていいという話をラジオで聞き、私は二匹のえさ当番をしていたひよこに、
「ママが『あげていいよ』と言ったときだけ、えさをあげるようにしてね」
と伝えておいた。
ある日、金魚鉢の横に金魚のえさが落ちていた。えさの入った箱を調べてみるとだいぶえさが減っていた。金魚鉢の中には、お腹がパンパンにふくれあがったシナモンの姿があった。いままでと違ってガラスのウキに頭をぶつけたり、上の方まで上がってきたりといつもと違う様子に私は心配になった。
「シナモンが変だよう……」
二日後、力なく金魚鉢の下の方に沈んで行くシナモンを見たひよこが、泣きながら部屋に入ってきた。明らかにえさの食べ過ぎである。苦しそうにしているシナモンに、ひよこは、
「早く元気になって」
としきりに声をかけていた。
その日は学校から帰ってきてからもすぐに金魚鉢をのぞき、シナモンが生きているのを確認すると、ひよこはホッとしていた。
しかし三日目のこと。シナモンのエラはついに動かなくなった。とうとう死んでしまったのだ。強いショックを受けて悲嘆にくれているひよこの横で、まめが、
「エグゼイドは生きてて良かった」
と、ぼそっと呟いた。四歳になったばかりのまめには、ひよこの気持ちはわからないようだった。
そういえば、むかし同じようなことがあった。
私が中学生で、弟の広輝が小学生のころのこと、広輝が金魚にえさをやり過ぎて死なせてしまった。姉弟二人で東京に遊びに行くことになり、その間のえさをまとめてやっておこうと考えて、水槽の中にたくさん入れ過ぎたのだ。
しかし私も広輝もそのとき泣いたという記憶はない。
小さな金魚の死に大泣きするひよこは、感受性が強い子なのだろうか。
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お知らせ:毎日新聞「はがき随筆」のコーナーに、あひるさんの作品が採用されました。親子のリレーエッセイの場を借りて掲載します。「耳順に思う」(2020/07/31掲載)、「祖父の骨」(2020/10/01掲載)。
「耳順に思う」
私が還暦を迎える今年、二人の母が逝った。私の実母が四月十二日、八十九歳。私と妹に負担をかけまいとグループホームに八年暮らし、最後は私と妹が母と同じ部屋で寝ている間に息を引き取っていた。真一文字に口をつむって。
主人の母は五月十八日。私たち家族が住む家のすぐ近くで一人暮らしをしていたが、軽い脳梗塞で入院し、一か月後に急変した。最後は誰も間に合わなかったが笑顔だった。
百一歳だった。主人の母とは本気で喧嘩もできた。実母は寡黙な人だった。耳順う年となる私は、二人の母の思い出に学んでゆこうと思っている。
「祖父の骨」
四十年前、母方の祖父の遺骨が本人のものと判明したと新聞に掲載されたことがあった。
母方の祖父は旧満州で捕虜になり、ウランバートルで亡くなったそうだ。母は兄ひとり、弟ふたりのひとり娘。祖父には特別かわいがられたと聞いている。
終戦当時、母は十五歳だった。祖母が四人の子供を連れ、出水郡野田郷に引き揚げ、祖父の帰りを待ち続けた。
いつかひょっこり帰ってくるかも、いや現地で元気に暮らしていてくれてもいい。母の切ない望みは遺骨の判明ではかなく散った。今年あの世で再会できただろうか。