第2編 幸齢になってからの泡沫話

Vincent van Gogh (Dutch, 1853 – 1890), Farmhouse in Provence, 1888, oil on canvas

第2編 幸齢になってからの泡沫うたかた

――幸運にも齢を重ね、ふと思い浮かぶ、時折々の話を拾ってみました――

 

 

07. 円やかエッセイ

07-1. 蜂蜜エッセイは円やか随筆

 

   


ウエブ投稿欄『蜂蜜エッセイ』をこよなく愛する私は、いつごろからか「円やか随筆」だと思うようになった。
なぜならば、みなさんの寄稿が全部読め、どの寄稿を読んでも、日常の、人生の幸せ感が素直に綴られており、ほんわかと共感できるからである。「そんなことがあったんだ、よかったね」とつぶやきかける作品ばかりだ。

味わいを深める蜂蜜特有の旨味は、エッセイを読み、書くことでも味わえる。80歳を超えた私などには、日々の励みの活力になる、うれしい企画である。
その人の日常の生活や人生体験に基づいて書かれたものは、みんな玉稿と主催者は尊重し、エッセイ作品集にほとんどすべてを載せてくれる配慮に、蜜蜂を大切に育てる養蜂家の包容力を感じる。期間を置かないですぐ、こんなに丁寧に載せてくれる募集はほとんどない。
もう載っただけで、入賞したと同じ気分にひたるのは私1人だけだろうか。投稿が掲載されると、この上ない喜びを感じるのは、みんな同じだと思う。本当に感謝である。

第1・2回の募集には、1作品しか応募できないものと思い込んでいた。蜂蜜や蜜蜂の話題を見聞すると、それが何か書けるだろうと応援してくれるので、書くと拙稿もたまってしまう。
今回の第3回は、断られるのを覚悟して、思い切って複数を応募してみた。何と「まろやかに」受け入れられた。気が付くと、1年に10数本応募し、掲載された。日々頭をひねって張り切る自分に、自分が驚いている。
すべてに蜂蜜の「円やか」を感じる。普通は平仮名で「まろやか」と書くのだが、この企画は漢字がふさわしいような気がする。英語なら「マイルド」で、方言を使えば「まったり」ということになろうか。

入賞はスマートな清涼感を綴る「エッセイ」に譲って、文学の「随筆」にはほど遠い稚拙な単なる「随想」かもしれないが、私は、相変わらず日常の雑感を書き続けたい。
人々に「まろやかさ」を与え、人々からそれを引き出すこの企画がずっと続くよう願っている。

(2019年2月20日、ウエブ掲載欄『蜂蜜エッセイ』第3回募集掲載。一部加筆)

 

07-2. 人生最後のやりがい

 

   


2019年2月20日、「蜂蜜エッセイ」の第3回公募の締切日に「蜂蜜エッセイは円やか随筆」を投稿し、作品集に加えていただく光栄に浴した。
約1年後の今も、掲載される喜びと感謝の気持ちは少しも変わらない。今回はそれをより高める励みのチャンスもいただいた。

ある資料の問い合わせを、2019年9月、担当の方にメールした際だった。即刻の回答の末尾に「ご応募がたいへんに多いため、いずれ渡辺碧水様特設ページを作ろうかと考えております。(笑)」とあった。(補注:「渡辺碧水」は私の当時のペンネームである)
冗談とは承知したが、「特設ページの件、真面目な話、可能ならぜひお願いします」と、即日メールした。
というのも、このエッセイの懐深い円やか審査と採択が大変気に入り、3月8日(ミツバチの日)から募集を開始する第4回の1年は、このエッセイに全力投球し、可能なら100編以上掲載を「年願」(念願、目標)に頑張ってみようと思っていたから。事実、1編ごとに充実感が増し、人生最後のやりがいを感じる年を自覚しつつあった。

奇しくも、人生の機微を書いた「縁は異なもの味なもの」とその続編を投稿した直後だった。そして10月上旬、応募作一覧に「渡辺碧水氏応募作品」の特設ページが設けられ、第4回の既採択分30数編が1か所に集められた。
特段のご配慮を素直に喜び、さらに執筆に拍車がかかった。

「それも束の間」とは、こんなことを言うのだろう。10月中旬に受けた健診で便の潜血反応が判明した。約2か月間、胃カメラに始まり、大腸を重点に全身のカメラ、CTなど、あらゆる精密検査を受けた。この間も、蜂蜜エッセイ作品執筆を必死に続けた。入院前に掲載数は約80編に達した。だが、「年願」にはまだ遠い数であった。
そこで、病室にノートパソコンを持ち込み、自覚症状がほとんどないのをいいことに、夢中で下書き蓄積に励んだ。
腹部に数か所穴を開けて、大腸がんを摘出する手術を受け、新年を病院で迎え、2020年1月上旬に退院した。順調な回復を追い風に、拙稿を苦笑されているとは思いつつ、懸命に毎日1編を綴り、投稿を続けた。2月5日の掲載で、ついに「年願」の100編超に達したことが確認された。

マヌカハニーや高品質蜂蜜にも支えられながら、「ピンチはチャンス」と自己暗示をかけ続けた結果で、1か月の断筆も「年願」の達成感を高める、神さの配慮だったと思えば、幸甚こうじんと言えよう。

「蜂蜜エッセイ」の存在に感謝!

(2020年2月6日、ウエブ掲載欄『蜂蜜エッセイ』第4回募集掲載。一部加筆)

 

07-3.「蜂蜜」の秀逸説明、ここにあり

 

   


ボケ進行の遅延対策、頭の体操に最適と投稿しているこの「蜂蜜エッセイ」も5年目・第5回を迎え、「ミツバチの日」を期して3月8日、応募受付が始まった。
今後の1年、何を、何本書こうかと思うだけで「さらにもう1年、元気で生きよう」との気力がみなぎる。
今、82歳5か月。男性では世界第3位の長寿国で、もう平均寿命を生きた(一応、健康寿命も10年超えた)、終活もおおかた終えた、という心境の段階でも、である。

題材は「風の吹くまま気の向くまま」となろう。「年願(念願)」の目標数は、語呂合わせ的には、10月7日、83歳になるから、「はちみつ」の83編と欲張りたい。

前置きが長くなったが、今回は「蜂蜜」の優れた解説を採り上げる。
「これだから、人生やめられない」と思うひと時を得た。
最近、調べものは、書籍の事典類で調べるよりも、インターネット検索に頼ることが圧倒的に多い。あれこれ探すのが常だが、こと「蜂蜜」に関しては最近、インターネットの「ウィキペディア日本語版」が優れた解説だとわかって感激した。

「はちみつ」と打って検索される、出典がフリー百科事典『ウィキペディア』の漢字表記「蜂蜜」の記事。今まで、ページ右上の星印マークを見落としていた。その印は高品質な素晴らしい「秀逸な記事」に付けられるものだった。
2020年3月8日現在、ウィキペディア日本語版全体で119万本強の記事があるが、そのうち90本しか「秀逸な記事」に選ばれていない。「秀逸な記事の選考」によって7つの条件を満たし、百科事典の記事として「質・量・書式」に問題がないとのお墨付きのものだそうだ。
うれしいことに、何と「蜂蜜」の解説は、稀な秀逸記事の1つだったのである。(ほかに「ミツバチ」「養蜂」などの関連記事も独立してあるが、星マークは付いていない)
ことわざ的には「近くて見えぬはまつ毛」だったとでも言えようか。

新型コロナウィルス感染で外出自粛の真っ最中、記事「蜂蜜」を熟読して、適切な知識の再確認に努めたい。

(2020年3月8日、ウエブ掲載欄『蜂蜜エッセイ』第5回募集掲載。一部加筆)

 

追記(2022年12月20日)
2022年3月「ミツバチの日」、2023年度『第7回蜂蜜エッセイ』の公募が始まった。だが、「公募のお知らせ」には「基本的にお1人様1作品とさせていただきます」が要項に加わった。私は、何人か複数投稿の人がいることは知っていたが、明らかに私に対する応募数制限事項と受け止めた。
この年度以降は自粛し、1作品の応募にとどめることにした。主催の企業は、職員が本業のかたわら編集に携わっているとかで、知名度が高まり応募数が多くなるにつれて、掲載が遅れたり、編集に丁寧さが欠けるようになると同時に、本業にも支障が生じていると、風の便りで聞かされていた。残念ながら「円やかエッセイ」の対応も、ついに打ち切りとなったのである。
振り返ってみると、私の応募作品数は、第1回と第2回は1編ずつだったが、第3回は16編、第4回は125編、第5回は193編、第6回は92編、合計428編だった。うち、ボツにされたのは6編、掲載率は98.6%だった。1作品の制限分量は800字程度だった。(ところで、企業があえて掲載を避けた内容の作品とはどんなものか。興味をそそられる人も多いかと思われるので、許されるのなら別編で紹介したい)
合計数を見ると、よくもそんなにと思われるかもしれないが、シリーズのいくつかはまだ連載の途中だった。