第2編 幸齢になってからの泡沫話

Vincent van Gogh (Dutch, 1853 – 1890), Farmhouse in Provence, 1888, oil on canvas

第2編 幸齢になってからの泡沫うたかた

――幸運にも齢を重ね、ふと思い浮かぶ、時折々の話を拾ってみました――

 

 

09. 誕生日エッセイ集

(80代に入っての「誕生日エッセイ」を並べて比較してみようと思い立ったが、80~82歳のときは、書き残す発想がなかったらしく、作品は書かれていなかった。したがって、誕生日集は83歳から始まる)

09-1. 83歳は「蜂蜜の年」(83歳)

 

   


2020年10月7日、83歳の誕生日を迎えた。少し寒さを感じるも、秋晴れの下、15階のベランダからの眺望は、遠方の山脈でも眼下の並木でも紅葉が進んでいる。

いつものように朝食のトーストに蜂蜜を垂らしていたときに、ふとひらめいた。「83歳は蜜寿(蜂蜜の年)だろうか」と。
語呂合わせで、8月3日は「はちみつの日」。3月8日の「ミツバチの日」と同様、1985年、記念日に制定されて久しいのだが。

年齢については「年祝い」がある。一般的によく知られているものに、例えば、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」などがある。このように、高齢なほど、特定の年齢の長寿を祝う風習がけっこう細かくある。

「83歳を表す言葉は?」と調べてみた。どうも見当たらない。80歳と88歳との間には、やっと見つかったのが81歳の「半寿」(国語辞典『大辞泉』)。
他と同様に、適当に字画から考えられたものだが、八と十と一を組み合わせると「半」になる。一説によると、将棋盤の目が81あることから「盤寿」ともいわれるそうだ。

「年祝い」の言葉は、かなり強引な字画合わせであることがわかった。
ならば、83歳を「蜜寿(蜂蜜寿)」とする新制定も有りではないか、と想像を膨らませた。8と3の語呂合わせで「はちみつの年(齢)」。あやかりの祝い品は、当然、天然蜂蜜となろう。
意義は深い。蜂蜜の糖度に由来し、83度の糖度は究極の完熟を意味する。この天然熟成蜂蜜の味覚と効能は言うまでもない。まさに人の健康寿命の達成値と一致する。

さて、以心伝心とはこのことか。誕生祝いの恒例の絵画が先程、メールで届いた。贈り主は、大学薬学部2年生の孫娘。まだ、コロナ対応でオンライン授業中だそうだ。
今年は、覚えたパワーポイントを使い、パソコンで作品づくりに挑戦してみたという。

彼女は漢方薬と薬膳料理に関心が高い。蜂蜜エッセイに熱心な「おじじ」の様子を画題に選び、また1年、じじバカの絶妙の「甘さ」への期待も込めて描いたようだ。

 

09-2. 蜂蜜作品で誕生日を祝う(84歳)

 

   


2021年10月7日、84歳の誕生日を迎え、さわやかな気持ちで自己流に祝った。コロナ禍の自粛生活の下、ささやかな努力の達成感という心境である。
「はちみつ川柳」と「蜂蜜エッセイ」への作品応募で過ごした1年間を振り返ってかみしめた味わいは、余生の中の1年とはいえ、今までにない新鮮なものだ。

1つは「はちみつ川柳」の優秀賞を受賞したこと。9月8日発表の2021年第3回作品公募で最高賞に選ばれた。
作品は「蜂の蜜 句・文・絵・歌でも コクを出す」だった。(ゴマすりの句である)

一部分の抜粋だが、講評には「養蜂場のWEBサイトを本当によくご覧になっていらっしゃりスタッフ一同大感激です! おっしゃる通り蜂蜜とミツバチはどんなジャンルにも対応するマルチ素材なんですね(笑)」とあった。

「はちみつ家のブログ」でも『渡辺碧水さんは蜂蜜エッセイの常連さんです。「句」は「はちみつ川柳」、「文」は「蜂蜜エッセイ」、「絵」は「みつばちイラストコンテスト」、「歌」は「はちみつクイーンでみつうたを歌ったMEMIさん」のこと。本当に当場のサイトをよくご覧になっていらっしゃり感激です!』とあった。(「渡辺碧水」は私の当時のペンネームである)

後日、賞品の返礼の中で私は「ふとヒラメキを感じ、すぐ応募しました。想いを見事にピッタリご理解・推理していただき、優秀賞の栄を与えていただきましたこと、心より感謝・感激いたしております」と付記した。
広くは、以前に『蜂蜜エッセイ』の拙稿「歌会始選歌に詠まれた蜂蜜・蜜蜂」(2019年度・第3回)などでもふれたが、蜂蜜と蜜蜂を素材としたものに、「句」には短歌や俳句なども、「文」には小説や童話なども含み、絵も歌も、それぞれに秀作が数えきれないほどある。

もう1つは「蜂蜜エッセイ」の掲載数が83歳の間に380編に達したこと。
1年前の誕生日に「83歳は『蜂蜜の年』」を、そして、その直後に「目標は蜜蜂翁?」(2021年度・第5回)を投稿した。その中で、8と3の語呂合わせで、年齢を「蜂蜜の年(齢)」、めでたい「年祝い」を「蜜寿」とし、その意義は、蜂蜜の究極の完熟度が糖度83度で、人の健康寿命の達成値が83歳だからとした。

そして、エッセイの掲載目標値を「380」に。つまりは達成すると「蜜蜂翁」になる、と。数字のゼロをローマ字のオーと読んだ強引な語呂合わせだが……。

この1年間、「蜂爺」の心境で自ら奮起を促し続け、ついに84歳の誕生日には掲載実数が目標値をクリアした。
コロナおこもりも、越冬の蜂球にならって、春光を信じて耐え抜くことと悟った。

「蜂の蜜 コロナ免疫 粘り勝ち」

 

09-3. 蜂蜜とローヤルゼリー(85歳)

 

   


2022年10月7日は85歳の誕生日である。代わり映えしない1日が7時の起床とともに始まった。

何はさておき、空きっ腹では何もする気が起こらない。いつものように、まずは朝食である。野菜サラダ、パンと牛乳、バナナ、ヨーグルト。いつも同じものを同じ順序で食べる。
ほとんどの日のように、今日の主食も5枚切り食パン1枚である。こんがり茶色に焼いたトーストに、先の細いボトルから蜂蜜を垂らす。何十年も相変わらずで、お気に入りのアカシア蜂蜜である。結晶しづらいことと癖のない味とが私の性に合っている。他の花の蜂蜜もいくつかの容器も試したが、結局、これに落ち着いた。

蜂蜜を垂らすときには儀式がある。パンを皿の上に四角に見えるように置き、算用数字の8を書くのだが、8は横倒しだ。8は寝かせて書けば無限大の記号(∞)に似たものになる。何事と特定するわけではなく、すべてが無限の彼方にずっと続いてほしいとの願いを込める。屁理屈へりくつに過ぎないが、私の場合、蜂蜜で8を書くことが暗示になる。

蜜蜂は太古から8の字ダンスの情報伝達法によって、無限に進化し生存し続けてきた。過大な言い方かもしれないが、蜂蜜の効能も豊富で無限大である。人生も80代ともなると、1年ごとに心身の衰退に大きな変化が生じるようだ。

朝食の後は、多くの高齢者と同様に、降圧薬と胃薬を飲む。私の場合は、もう1つ加わる。こちらは、妻のお気に入りのローヤルゼリーである。少量入りスティク(顆粒かりゅう)を1袋渡される。以前にもこの欄のエッセイに書いたのだが、今年80歳になった妻はローヤルゼリーに出合ったおかげで「医者いらず」を貫いてくることができた。

妻は、もう何十年も前から、健康の不安をらす人に出会ったら、手持ちのローヤルゼリー・スティクを数袋プレゼントし、体験談を語る癖が続いている。妻の説得力ある暗示もあってか、感謝されることが多い。ますます妻の信念は強まる結果となる。
妻が忘れないように手に持っていて「はい、これも」と渡される。誕生日も、朝の儀式はこうして終了した。

夕食後も同様で「継続は健康力なり」である。ローヤルゼリーを飲むのを見届けると、妻は私が明日も元気で起きてくると信じてやまない。暗示の掛け合いで1日が過ぎた。明日も同様に過ごせるだろう。

孫娘から絵のプレゼントがメールで届いた。「私のおじじはサウスポー」とばかりに、左の手で無限大(∞)を描いている場面である。

 

09-4. 誕生日午前は「蜂蜜エッセイ」執筆(86歳)

 

   


誕生日に「蜂蜜エッセイ」を書くのが、ここ数年、恒例になっている。2023年10月6日、86歳の誕生日の前夜だった。不安な思いにかられ、祈るような気持ちで、私は「蜂蜜エッセイ」の応募欄を開いた。
というのも、いつもは、3月8日(みつばちの日)に前年度の入選作品が発表され、やがて、次回の「公募のお知らせ」が出るのだが、今年は8月3日(はちみつの日)になっても、それがなかったからである。
コロナ禍で世の中は一変した。もしかして、主催者の養蜂場は、本業外の余技を廃止にしたのか、はたまた本業自体が廃業になったのか、不安は不吉な憶測を抱かせる日々が続いていた。
幸運とはこういうことか、不安は吹き飛び、うれしい気持ちに満たされた。なんと10月6日には新しく「第8回公募のお知らせ」が掲載されていたのである。
さて、当日のことだが、朝7時「ハッピーバースデーツーユー」と歌いながら、同居の妻と娘が私を起こしに書斎兼寝室へやってきた。
起床し、何はさておき、まずは寝間着姿のまま、テレビでニュースを見ながらの朝食である。娘が用意してくれていた野菜サラダ、パンと牛乳、バナナ、ヨーグルト。いつも同じものを同じ順序で食べる。
昨年と変わったのは、野菜サラダのあとに食べる5枚切り食パン1枚が半分なったこと。大腸がんの術後定期検診で、CT検査の写真を見ながら、医師から経過の説明を受ける時、決まって「この部分は脂肪です」と腹の膨らみを指摘される。すっかり散歩も減った日常では、減量はパン半分とするしか、方策はなかったのである。
こんがりトーストを横長に皿の上に置き、ボトルからアカシア蜂蜜を垂らす。いつもの儀式にのっとり、算用数字の8を横倒しに書く。つまり、無限大の記号(∞)を描くのである。蜜蜂の8の字ダンスも思い浮かべて、いつもよりもゆっくり、たっぷり垂らす。80代、すべてのことが無限にずっと続くように、朗報は早く伝えられるようにとの願いを蜂蜜文字に込めて、自身に暗示をかける。
さわやかなアカシア味を楽しみながら、何度もかみしめ、牛乳とともに胃に送る。次は特売日に買い置いた熟れたバナナにかぶりつく。そして、粉末青汁・黒ごまアーモンドきな粉・ブルーベリーが入ったヨーグルト。最後は、その小鉢に水を注いで箸で残りをそぎ落として飲む。質素な朝食である。
とはいえ、まだ終了とはならない。降圧薬と胃薬を飲み、妻の要望で粉末ローヤルゼリーを口に含む。ローヤルゼリーは、スティク(顆粒)を朝夕になめるよう2袋渡される。妻の絶賛のサプリメントである。
8時半、蜂蜜エッセイの下書きに取りかかる。書く材料は何とか頭に浮かんだ。制限字数は1千字程度となっている。ささやかな誕生日祝いは、午後3時のおやつの特大シュークリーム、夕食のラム肉ジンギスカン。私の好物が食べられると聞いて張り切ってパソコンに向かう。
もう既に制限字数になったが、食べ物の話だけでは、代わり映えしない。うれしいことを1つ付け加えておきたい。
実は、故新渡戸稲造博士の召天90周年記念日(10月15日)にあやかって出版したいと、鋭意努力してきた電子書籍『遠友夜学校の遺産はどう伝承されたか―新渡戸稲造の夢を未来へつなぐ年譜―』(増改版、349ページ)がついに仕上がった。無償で奉仕した大学の大先輩たちの遺志を引き継ぎ、無料閲覧・ダウンロードが可能な本にした。
夕食時、日本酒で誕生日と出版の両方の祝杯をあげることにした。
(いずれも、ウエブ掲載欄『蜂蜜エッセイ』第5・6・7・8回募集掲載。一部加筆)