第2編 幸齢になってからの泡沫話

Vincent van Gogh (Dutch, 1853 – 1890), Farmhouse in Provence, 1888, oil on canvas

第2編 幸齢になってからの泡沫うたかた

――幸運にも齢を重ね、ふと思い浮かぶ、時折々の話を拾ってみました――

 

 

10. 幸齢の日々を生きる

10-1. 感謝の気持ち はっきりと

 

   


年を重ねるにつれて若い人から親切にされ、うれしい気持ちになることが多くなった。

日常的例は、バスや電車で席を譲られること。

そして、気づかされるのは「親切を受ける側」のあり方の重要さ。

体験的に得た教訓は、親切を素直に受け入れ心から感謝すること、その喜びの気持ちを明快に相手に伝えること、それも即刻伝えること。「ありがとう」の言葉と笑顔で応えてあげることが、親切へのお返しになる。

「親切を行った側」も、爽快な心境に導かれ、喜ばれることをしてよかったとの思いや認めてもらえたうれしさを率直に表現感してほしい。

笑顔で「喜んでいただけて幸いです」の言葉を聞けた時は、感謝が伝わったと思えて、本当にうれしい。

親切・思いやりの精神は日本人の「おもてなし」で引き継がれてきた美徳だ。

親切はためらわず行動に移そう。

親切には喜んで甘えよう。

感謝は声に出してはっきり伝えよう。

(2018年3月19日、日刊紙『北海道新聞』「読者の声、テーマーコーナ―:親切」欄投稿掲載)

 

10-2. 最後まで笑顔で過ごしたい

 

   


7月31日本欄の「『いい人生だった』と笑って締めくくりたい」という投稿を読み、しばし感じ入った。

投稿者は、それぞれの人生に色があり、十人十色とおっしゃった。

わが人生は何色になるだろうか。思いを巡らすと、波乱万丈の80年間は刻々と変色し、それも混色ばかりだったような気がする。

軍事色の時代に生まれ、国防色の中で子だくさん農家の末っ子として育ち、7歳の時に敗戦。国全体が灰色の極貧から立ち上がる途上、10歳時の2月と7月、相次いで両親が病死した。

それでも、無理して勉学の機会を与えてくれた兄姉や周囲の人々の心情を察すれば、暗黒色だったとは言えない。

神仏の粋な計らいだろうか、以後、人の情けと幸運に恵まれ、悲喜こもごもの中で人並みの幸せを味わった。「終わり良ければすべて良し」と割り切れば、バラ色の人生と言えなくもない。

もうすぐ「笑いの日」の8月8日。大いに笑って1日を過ごし、傘寿の末広がりに夢を託し、最期まで笑顔で過ごしたいと願う。

(2018年8月5日、日刊紙『毎日新聞』「みんなの広場」欄投稿掲載)

 

10-3. 傘寿の峠を越えて

 

   


80代に入って峠をまた一つ越えた。

人をねたんだり、そねんだりするようなことがなくなった。

無我の境地に入ったというのではなく、そんなことに思いわずらう時間がもったいないと思うようになった。

悟りというよりも、達観のような心境かもしれない。

日本人男性の健康寿命とされる歳を超え、平均寿命のところに達した。

知人・友人の中で、昇天する人もでてきた。

今日にも、不慮の事故に遭ったり、病魔が見つかったりするかもしれない。

そんなことを考えると、他人と比較したり、他人を意識し過ぎたりして大切な時間を費やしてしまうのは、ひどく惜しい気がしてならない。

幸いにも今日まで生きながらえてきた。この貴重な日々を気楽に愉快に過ごさなくては損だと、ようやく気づいたのである。

なれると、意識してそうしなくてはと思わなくても、人をにくみ、ねたむような気持ちにはならなくなった。

日々の生活の中で生じる問題に対しては、何とかなるものは解決に努めるが、そうはいきそうにないものはとりあえず脇に置いておくことができるようになった。

普段の生活は楽しいほうがいい。心の持ちようで人生を最後まで楽しいものにできると思う。

ここで終わろうとしたところで、いいなーと思う言葉が目に入ってきた。京都・東本願寺の門前に掲示してあるそうだ。

「これまでが これからを 決める」のではない。「これからが これまでを 決める」のだ。(藤代聡麿の言葉)

「これまで(過去)が これから(未来)を決める」のではない。変えることも、消すこともできない“これまで”であるが、 “これから”の生き方次第で、その(過去の)意味は大きく変わる。

忘れないように、書き残しておこう。

(2018年10月10日、個人作品集『埋没Myボツ』収録)

 

10-4. 毎日が新鮮

 

   


予約本の順番がきたと図書館から連絡が入った。ずいぶん以前なので、貸出依頼していたことをすっかり忘れていた。

今話題の超ベストセラーと新聞で知り、書名もさることながら、初版の1937年は私の出生年、「当時は思想統制直前でこの種の児童書はこれが最後と企画されたもの」との説明に興味津津しんしん、ぜひ読んでみたいとすぐ申し込んだのだった。

そんな名著を知ることなくこの歳になってしまったのかと恥じらいつつ、

「この本、知っていたかい」と、同居の娘に聞いてみた。

「読んだよ、小学高学年の時。すばらしいから、ぜひ読んでおきなさいと、渡してくれたっしょ」

「そうだったかい、その本、どうした?」

「何言ってんのよ。十数年前、終活だと張り切って本を大半処分し、メトロ文庫に寄付したでしょ! 書棚に預かってもらっていただけなのに、許可なく私の本も全部処分したんだよ!」

「そっかぁ!?」と、いぶかりながら頭をかいた。

そして、消え去った記憶の見事さに、われながら驚き、かつ感心した。

どんどん童心に帰る私は、今まさに「将来、何になりたいの」と問われている子どもの面持ちで、えりを正して読んだ。心にしみる新鮮さが残った。

(2021年10月8日、個人作品集『埋没』収録)

 

10-5. 指につば

 

   


親指の先を唇に持っていきながら、ふと壁の貼紙を見た。「衛生上好ましくありませんので、指に唾をつけ、新聞を閲覧することのないようお願いいたします」。思わず親指を見た。

図書館の新聞を閲覧する場所でのことである。数社の日刊新聞が置かれ、自由に読めるこのコーナーは、高齢者の憩いにはもってこいの場だ。

ずいぶん長い間利用させてもらっているのに、何枚かある注意書きのこの一枚に気づかなかった。そして、無意識にずっと繰り返していたことに気づいた。そうっと周りの様子を見てみると、やってる、やってる。あっちの人も、こっちの人も。スムーズな動作の流れの中で、1枚ごとに。

それではと、口に指が行きそうなのを抑えて、つば付け動作なしにやってみた。どうもうまくめくれない。唇にちょっと触れてからやると、湿りが有るか無いか微妙なのにうまくいく。高齢化による指先の乾燥だろうか。もう一度周りをよく見直してみると、若い人はやっていない。

「そうだ!」と、職場でゴム製の指サックを付けてした紙めくり作業を思い出した。家の机の引き出しを探してみよう。いいことを思い付いた気がして、閲覧を切り上げて帰宅を急いだ。

(2017年6月29日、日刊紙『北海道新聞』「陽だまり」欄投稿掲載)

 

10-6. 文明の利器 楽しみは後で

   


小画面とにらめっこ、忙中も寸暇を惜しんで指で画面ポン。食事中も、会話中も、歩きながらも。起床時にも、消灯前にもメールをこまかくチェックする。「何をそんなに忙しく」と心配されるけど、全然苦にならないので、お構いなく。

大量の情報だけでなく、支払い、電話、メール、カメラなどなど便利な機能を備え、老若男女を夢中にさせる「文明の利器」。指先からは未知の世界が無限に広がる。使い勝手も良く、認知症の予防にもなるとすれば、まさに生活必需品だ。……と、スマホ所有者の心理、機能の魅力を挙げ出したら切りがない。

「甘い言葉や好奇な写真に誘われて、危険だって?」。それもわかっているけど止められない。

「それで、あなたはどれほどスマホを重宝しているか」って? 実は、私はまだあえて持っていない。必ずはまると自分でわかっているし、おいしい物は後で味わうタイプなので。老後(この年齢で照れるけど)の楽しみにとってあるのです。

(2017年12月3日、日刊紙『北海道新聞』「読者の声、テーマ:スマホ」欄投稿掲載、一部加筆)

 

10-7. 多様な作品発表の場を企画願いたい

 

   


年明けのある新聞の「今年こそ」に「10代の頃に考えた、私のペンネーム、いつか活字にしてあげたい」との50代の女性の投稿が載った。同し想いの人は殊のほか多いのではなかろうか。70代後半に志を起こした私でも、一番先にペンネームを決め、分身に想いを託そうとした。

その女性は、児童文学の作品を書き続け、「書いても書いてもボツの山です」と述べ、公募入選の難しさを語っている。脳トレで短文だけに徹する私の投稿もボツの山である。

私は文芸公募の難関を知り、すぐ考えを変えた。志を高くして入選に挑戦することも素晴らしいが、別の道もありではないか、と。たとえ小さな拙稿でも命を与え、実績を積み上げていくことも、日々の充実であり、喜びでもある、と。

別の公表法には自費出版や同人誌への参加が考えられるが、何かとハードルが高い。そこで、優劣の選別よりも意欲を重視し発表の機会を与えてくれる企画募集があれば、栄光の機会に恵まれない人にとっても、どんなに嬉しく励みになることか。

少額経費の負担を前提とし、一定の条件の下で広く参加者を募り、1回の添削指導と修正を加えたうえで活字化し、数十人単位の随筆等の作品集として世に出すのでいい。

ひたすら公募に挑戦している人の中にも、賞金・栄誉よりも作品を世に残したい、他人に読まれる機会を得たいとの想いで書いている人もいるだろう。むしろその方が多い気もするが、読者の方々の考えを知りたいと思う。

(2018年4月17日、ウェブ掲載欄「公募ガイド・お便りコーナー」投稿、採用掲載)

 

10-8. 掲示「僕たちからのお願い」

 

   


6年も前のことだが、私はケアハウスに入居中の姉を2週間に1度の割合で定期的に訪ねていた。すでに訪問は10年以上続き、姉は90歳を超え、私は80歳に近づいていた。
2月のある日訪ねた際、いつもは気に留めることがない廊下の掲示板に目が向いた。入居者に呼びかける大判のポスターが1枚だけ中央にられていた。部屋への通りすがりに何げなく眺めただけだった。
ところが、帰りにもそこに目がいき、ちょっと立ち止まって見た。ポスターは原稿用紙ふうにデザインされ、小さな子どもの笑顔の絵が入った手書き文字の短い文だった。
「お水を飲んでね」で始まり、「ぼくたちからのお願いです」で終わっていた。
帰路に乗ったバスの中で、ふとそれを思い出した。椅子いすに腰かけて、揺られながらあれこれとしばし考え込んでしまった。
「真夏ならまだしも、こんな冬の真っ最中に、寒さの厳しい北海道で『熱中症対策にお水を飲んでね』なんて……」
「僕たちって誰だ。施設職員から利用者への呼びかけなら、もう少し丁寧に、私たち、じゃないか」
などと、勝手に思いをめぐらせた。
そして「何で頭に残っていて、何で思い出したのだろう」と不思議がっていたときだった。に落ちなかったことが、急にストンと落ちた。合点の勢いで思わず椅子の肘掛ひじかけをたたいた。
自分が普段やっているのと同じことだと気づいたのだ。私は、2本のボトルを用意して、これに浄水を入れ、冷蔵庫で冷やしている。そのうちの1本を常に手元に置いて、こまめに1口、2口飲むことを年中習慣的にやっている。冬の厳寒期も毎日実行している。
ずいぶん前からだから、いつ始めたか定かではない。
「人間の身体の半分以上は水分である」
と、確かテレビ番組でたのが始まりだった。生命の維持に大切な水は簡単に安く手に入る。水飲みほど容易で適切な健康法はない、と説明された。
「なるほど」と納得し、日常生活に取り入れたのが「ときどき少量、水を飲む。毎日続ける」だった。
健康維持には、散歩や体操が有効だと言われる。この継続にはかなりの努力を要する。しかし、水を少し飲むことならハードルが低い。高齢者施設で「お水を飲んでね」は、優しい心遣いの呼びかけだ。
「僕たちからのお願いです」も、広くは、保険や年金の一部を支える若者や子どもたちからの「ぜひ」の願いだろう。そう思えば「確かにそうだ」と素直に受け止められる。
掲示板の前で私の足を止めさせたのは、水神様の仕業で、私への「水飲みを続けなさいよ」との激励だったに違いない。笑顔の絵文字がたくさん入っていたから、これを見つけた小さな子どもだって足を止めて見入るだろう。そう考えれば、よくできたポスターだ。
もっと言えば、水を飲むのは1例で、小さなこと、簡単なことでも効果的な健康法を、皆がそれぞれにやろうってことだろう。
そんな思いをめぐらせていると、また1つ疑問がわいた。手書きふうの掲示物は、印刷されたものだったのではないか、と。
その疑念は次の訪問時にはっきりした。やはり全国の水道事業体や各種団体・企業が推進している運動の一環として作られたポスターであった。そして、調べた結果、その2年前に制作されたものだった。
ということは、そのときから貼られていたのであろう。いくつもの中で気に留めなかったが、1枚だけの紅1点効果で、はじめて注目したようだ。
次に思いが及んだのは、他のポスターは取り外されたのに、なぜこれだけが貼り続けられているかだ。またネットで調べてみると、この全国的な運動は、ポスターによる呼びかけに力を入れていて、毎年何種類も新作を発表している。それでも、新しいものに貼り替えられなかった。
ここの入居者向けには、依然として最も適切なものだと、職員のかたは判断したに違いない。以降に作られたものと比較してみて、私はそう確信した。
ポスターの内容は、子どもたちから高齢者への呼びかけで、暑い夏の熱中症予防対策として、家の中でも「こまめに水を飲もう」というものだった。
熱中症は脱水症から起こり、脱水症は皮膚の乾燥から起こり、皮膚の乾燥は空気の乾燥から起こるのだそうだ。
この連鎖の元になる空気の乾燥は、冬の時期でも、家の中でも、夜でも発生する。脱水症への要注意は、暑い夏の直射日光だけとは限らない。冬の暖房は密閉した部屋の空気を乾燥させる。
部屋にこもることの多い高齢者には、冬季こそ脱水症の危険性が伴う。寒い冬の北海道でも、高齢者施設での「こまめに水を飲もう」の呼びかけは不可欠だ。
念のため、姉に確かめてみた。夏の熱中症のポスターを1枚だけ貼った作戦は、園長の講話「命の水」の中で、だれの発案かをほのめかされたそうだ。
帰りに私は、企てを考えた賢人のお顔拝見と、事務所の玄関窓口をのぞき込んだ。みんなの顔がいっせいにこちらを見た。
(2024年3月31日発行同人誌『随筆春秋』第61号掲載)